「新しい時代の気分 プラスチック」           関川宗英

水俣病のメモ

 

 

「新しい時代の気分 プラスチック」           関川宗英

 

 プラスチックが私たちにもたらしたものは、経済的役割だけではない。
 プラスチックは、大量消費社会を実現するために重要な素材といえる。清潔で、安く、色も美しい。高度経済成長を実現した日本、その豊かな生活をプラスチックが演出していた。プラスチックは豊かさの象徴でもあった。

 

 「もはや戦後ではない」と書かれた1956年の『経済白書』は、回復による成長が終わり、次の段階の成長は近代化によって支えられると断言している。
 技術革新(イノベーション)という言葉も初めてこの白書で使われた。
 技術革新とは、設備近代化、技術開発のための投資の原動力とされるが、それは単なる生産技術の革新を意味するのではない。経済生活のあらゆる領域で「従来と異なるやり方で事を運ぶこと」だという。つまり、電化製品に囲まれ、化学繊維品を身につけ、週刊誌を読み、インスタント食品を口にし、プラスチック製品を使うという生活。技術革新により、日本の新しい生活の原型が実現したのである。生産から消費まで広く国民生活全般が、昭和30年代に大きく変化した。

 

 1956年に映画『太陽の季節』が公開された。

若者のセックスと暴力を描いて“太陽族”という流行語まで生んだ、石原慎太郎芥川賞受賞作を映画化。石原裕次郎が拳闘部員役でスクリーン・デビュー!

 これは、「日活データベース」にある映画『太陽の季節』のコピーである。

 石原慎太郎は「ポスト<第三の新人>」、戦中体験を文学の原点にしていない「真の戦後派」として文壇に登場する。24歳のデビュー作『太陽の季節』は賛否両論を受けながら、一世を風靡した。1956年1月に芥川賞受賞、その年の5月には映画化された。

 ネットの「日活配信チャンネル」をのぞけば、3分余りの『太陽の季節』ダイジェスト版が見られるが、その3分余りの短い動画にボクシングのグローブやヘッドギア、ヨット、水着、街を歩く若い女性の華麗なファッションなどが次々と現れる。いずれも新しい時代の、若者たちのあこがれのアイテムとして登場するのだが、いずれも戦中にはなかった物であり、戦後になってプラスチック素材により作られた物であることに気づく。

 

 映画『太陽の季節』が公開された1956年5月とは、水俣病の最初の患者の公式確認がなされた月である。

 朝鮮戦争の朝鮮特需、それに続く神武景気、日本は急速な経済発展を迎える。好景気の影響により、耐久消費財ブームが発生し、いわゆる三種の神器(冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビ)が出現した。もっといいものが欲しい、もっといい暮らしがしたい、重苦しい占領下の時代から自由の時代に入ったという気分は近代化の風をあおる。大衆の欲望が、一気に噴き出したような高度経済成長期に時代は突き進む。
 高度経済成長は大量消費社会をもたらしたが、それを支えたのがプラスチックだった。
 プラスチックは新しい時代の気分を現す素材だったのである。

 

 日本は戦後復興から近代化への成長を実現した。人々の生活の中にプラスチックが増え、大量生産され始めたころ、水俣では奇病が発生していた。しかし、チッソの社長は噓を言って、水銀を海に垂れ流し続けたのである。