権力を鋭くチェックし検証していくことがメディアの使命

100分de名著

プロデューサーAのこぼれ話

 

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「群衆心理」の活かし方
「紋切型社会」の武田砂鉄さんとフランス文学者の鹿島茂さんが対談する! オールレヴューズという鹿島さんが主宰する書評サイトの企画でのオンライン対談イベントが開催されたのが去年8月30日のこと。当時新刊だった「わかりやすさの罪」を巡っての対談でした。私自身、手にしたばかりでまだ完読していなかったのですが、これは面白いに違いないと思って、わくわくしながら拝聴したのをよく覚えています。

わかりやすさが席捲する社会……その気持ち悪さと脅威を巡って語られた内容に、心を揺さぶられました。お話しを聞きながら、「この現実に鋭く切り込むような名著があれば、砂鉄さんに解説してもらいたい」という妄想が膨らみました。だが、そんな名著が果たしてあるのか?

終了後に、運営者のYさんにお願いして、砂鉄さんとつないでいただきました。最初のメールで、ぶしつけながら「もし名著を番組で解説するとしたらどの名著を選びますか」という質問をぶつけてしまいました。ほどなく返ってきたメールの中で、候補にあがっていた数冊…その中にあったのが「群衆心理」だったのです。

実は、一年くらい前に、完読ではありませんが、「群衆心理」の面白そうなところを拾い読みしたことがありました。保守思想家の西部邁さんが「思想の英雄たち―保守の源流をたずねて」という著作で、卓越したル・ボン論を展開されていて興味をひかれたからでした。西部さんがご存命中であれば、彼に講師をお願いしたいところでした。ですが、西部さんはお亡くなりになった後。しかも、ル・ボンはアカデミズムでは、ほぼ忘れ去られた存在で、著作等で言及する例がそれ以外に皆無。解説する講師がいなければ番組は成立しません。

そんなこんなで、ほとんど放置状態にあった「群衆心理」でした。ところが、全く予期もしないところから「群衆心理」の名前が現れて驚きました。しかも、読み直すにつけ「群衆心理」で書かれていることと「わかりやすさの罪」で書かれていることがシンクロしてきます。一週間後くらいには、ぜひ砂鉄さんに「群衆心理」を解説してもらいたいという気持ちが高まっていました。

問題は放送の時期でした。当時は新型コロナ禍の第二波真っ只中。オリンピックが開催されるかどうかも全く定かではない状況でした。おそらくオリンピック・パラリンピックを巡っては国民を分けての大議論になるだろう。ネット上でも、おそらく常軌を逸した炎上や論戦が繰り広げられるに違いない。新型コロナ禍の状況についても「陰謀論」めいた言説が少しずつ湧き上がっていました。おそらく1年後くらいには、コロナを巡る言説もヒートアップしているだろう……そんな予測をもとに、オリンピック・パラリンピック終了直後の9月に放送時期を設定しようと最終的に結論づけました。

テキストを講師が執筆する時間が必要な関係で、毎度8か月くらい前に企画の仕込みをやらないといけないという、かなり厳しい条件での名著選びになります。ですから、このように、その時点で置かれている状況の中で、限界まで考え抜いて予測を立てて企画を考えます。もちろんはずれることはありますが、ぎりぎりまで考え抜いたときには、不思議にタイミングが合っていくということも実感しています。

今回も、武田砂鉄さんによる絶妙な事例選択などのおかげもあって、まさに「この時、このタイミング」で「群衆心理」の放送を出せたことは、さまざまな問題を考える上で本当によかったと思っています。解説の中で、とりわけ印象的だったのは、政治家やメディアによって、群衆がたやすく扇動されてしまうという事実。政治家やメディアは、ある状況下では、精緻な論理などを打ち捨て、「断言」「反復」「感染」という手法を使って、群衆たちに「紋切り型のイメージ」「粗雑な陰謀論」「敵-味方の単純図式」を流布していくことがあります。たとえ誤謬であっても鮮やかで魅力的なら群衆はそれを信じるようになります。群衆心理によって、社会全体が「単純化」「わかりやすさ」のみに覆われ、瞬く間に一色に染め上げられていくことの恐怖。これは全く他人事ではないと思いました。

ル・ボンが主に分析したのは、フランス革命後のロベスピエールによる恐怖政治下に実際に起こったことですが、これと同じことが現実にも起こっているのではないでしょうか? 「安心安全」という言葉が独り歩きし、「ワクチン陰謀論」が盛んに語られ、自分の意見を少しでも異なる意見を語ると「敵対勢力」として罵倒され排除される。

とりわけ砂鉄さんの解説は、鋭い「メディア批判」も含んでいました。「メディアは主語を取り戻すべきだ」という言葉は、わが身を貫かれるような思いで受け止めました。ル・ボンのいう「断言」「反復」はそれほど多用していないかもしれません(多用するメディアも見かけますが)が、国民にとって重要な情報を時に隠蔽することに加担していないかということについては、もう一度私たちは胸に手を当てて考えなければならないと痛感します。

また、番組ラストで、「わからなさを引き受けることの重要性」「思考し問い続けることの大切さ」を言葉を尽くして語ってくれた砂鉄さんのメッセージから、私たちメディアは、群衆心理の暴走を食い止められるような役割を果たしてできているのだろうかということも深く考えさせられました。本来であれば、権力を鋭くチェックし検証していくことがメディアの使命と位置付けられていますが、その役割を果たせているのか。発表された情報を鵜呑みにしてそのまま流すだけの存在になっていないか、世論を一方向に向かわせるようなことに加担していないか。私たちは常に襟を正していかなければならないとあらためて感じています。

メディアは本来、多様な意見の行きかい、共存し、自由に論議し合う空間であったはずです。対立意見ですら尊重される空間です。価値観を一色に染め上げ、常に敵を作り出し、意見を一方向だけに推し進めるようなあり方であってはなりません。自らが「暴走する群衆」にならないようブレーキをかけ続けること、政治家やメディアが扇動しようとしてきたとき、そのからくりを鋭く暴き出すこと。それこそが「群衆心理」という名著を今に活かす一番の方法だと思えてなりません。