<聞く語る>代表・中島洋さん、支配人・中島ひろみさん 札幌「シアターキノ」開館30周年


<聞く語る>代表・中島洋さん、支配人・中島ひろみさん 札幌「シアターキノ」開館30周年

 

2022/12/2 北海道新聞

 

 

中島洋さん、中島ひろみさん(大島拓人撮影)

 座席数わずか29の「日本一小さな映画館」として、札幌市中央区にミニシアター「シアターキノ」が誕生して今年で30年。全国でも珍しかった市民出資による映画館で、これまで約4200本にのぼる個性豊かな名作、秀作を上映してきた。シネコンの台頭、新型コロナウイルス禍による休館、ネットフリックスなど大手動画配信の普及―。幾度の困難に直面しながらも「世界の多様な映画を少しでも多く上映していくのが役割」という中島洋代表、中島ひろみ支配人の思いは変わらない。(文化部 古川有子)

 

 

■すごい映画に出会った感動、代えられない 続けるだけ

 ――11月に開催した30周年記念の「分福映画祭」は大盛況でしたね。

 洋さん「『分福』は是枝裕和監督と西川美和監督が立ち上げた映像制作集団です。映画祭では分福の若手らの作品を特集上映し、観客と対話するティーチインやシンポジウムも行いました。是枝さんら総勢10人の監督らがキノに集結し、2日間で道内外から約500人の観客がいらっしゃいました。是枝さんとはデビューの頃から付き合いがあって、2年前にちょうど彼がキノにいらしてる時に映画祭の企画を話してみたら『2年後なら、若手の作品がちょうど出そろっている時期だからいいタイミングだね』と言ってくれまして。分福は、自ら企画して作品を創造する若手をバックアップするための集団で、『組織があって創造があるのではなく、創造があって組織がある』という精神なんですね。この精神をとても大事にしている」

 ひろみさん「作品を作るだけじゃなく、土台となる『場』をつくる作業に(是枝監督は)とりかかったということだと思います。それぞれの作品だけでなく、若い人たちが互いに刺激し合いながら、ものづくりに格闘している現場があることを観客に伝えられたらと思いました。分福がどういった集団なのかや、ハラスメントや労働環境といった映画界の課題についてのシンポジウムも開きました。スクリーンの裏側にある『場』に触れてもらえる機会になったんじゃないかと思いますし、若手監督たちも観客との対話を通じて感じるものがあったと思います。『自分たちが何をしているのか再確認できた』と言ってくれた監督もいたし、普段お世辞など言わないタイプの西川監督にも『本当にいい時間だった』と言われ、うれしかったです」

 ――シアターキノをオープンしたのも、「映画館をつくる」というより、表現の「場」をつくるという意識だったそうですね。

 洋さん「1981年に、経営していた札幌の居酒屋『エルフィンランド』に集まる仲間たちと、フリースペース『駅裏8号倉庫』を開設しました。ここは演劇、舞踏、音楽などあらゆるジャンルの表現の場だった。そういう場があると、いろんな人、ものが生まれるということがわかったんです。場の持っている有機的な力というかね。駅裏8号倉庫は86年に解散しましたが、その年にひろみと一緒に映像ギャラリー『イメージ・ガレリオ』を開設して、映像作品やインスタレーションなどを発信していました。でもしばらくして、札幌にあったミニシアターが閉館してしまった。もともと、ミニシアターではできないことをしようと考えて『ガレリオ』をやっていたし、そのミニシアターがなくなったら、多様な作品を見る場がなくなってしまう。他にミニシアターをつくるという動きも出てこないし、次第に危機感が募って…」

 ひろみさん「でもやっぱり迷ってね。それでガレリオを休んで、2人で1週間かけて全国のミニシアター巡りをしたんです。福岡、広島、神戸、大阪、京都、名古屋、東京と回りました。各地で仕事の内容や経営などについて聞きましたが、どこに行ってもみんな『やめた方がいいよ』と言うんです。『大変だよ』『無謀だよ』って。なのに、みんな生き生きしていて楽しそうだった」

 洋さん「それを見て、大変だろうけど、きっと面白いだろうなと思い、東京から札幌に帰る飛行機の中でやろうと決めました。自分たちが必要としているものは、自分たちでつくるしかない。その役割として手を挙げた感じです。映画ファンや市民からの出資は1380万円にもなり、ガレリオを改修して開館しました」

 ひろみさん「映写機を回すことも初めてで、一から教えてもらいながらでした。興行のしきたりも知らなくて苦労した面もありましたが、それまで観客と同じ側だったのが、裏側に入ってみるとこんなに面白いのかと思いましたね。自主製作する人たちとの出会いも楽しかったし、作品とその作り手の場を培う喜びがありました。でも最初の3年は赤字。菓子折りを持って東京の配給会社にあいさつ回りをするんですけど、経営のことを心配されていたんでしょうね、警戒されていました。4年目からは黒字になって、配給会社との信頼関係もできてきました」

 ――98年には現在のビルに移転し、2スクリーン体制に拡充しました。その後は順調でしたか。

 洋さん「若者が中心だったミニシアター文化に、新たに女性が加わり始めてきた時期で、移転と合わせて新しい客層として女性を意識し始めました。また、『トレインスポッティング』や『アメリ』といったミニシアター発のヒット作が、相次いで生まれた時期でもあります。その結果、ミニシアターで上映していた作品をシネコンも上映するようになり、キノで年間3~4本出ていたヒット作が出なくなっていきました。シネコンに持っていかれるからです。収入は徐々に落ち、赤字が出るようになりました」

 ――コロナ禍も42日間休館を余儀なくされるなど大きな打撃でした。回復の兆しはありますか。

 ひろみさん「2019年以前には戻れないと思っています。一度遠のいてしまった観客を呼び戻すには、よほどの瞬発力が必要だと思いますが、まだそういう状況ではありません。キノは日常的にお越しになる人が大半ですが、コロナ禍でキノが日常から離れた存在になってしまった。作品によっては、公開後1週間は『昔のお客さんたちが戻ってきてくれたな』と感じることもありますが、でもそれが2週目以降につながりません。だから、この状況の中でどう維持していくかを考えています」

 洋さん「観客は平均すると2割減のままです。20年春は半減でした。収入も4割減り、経営状況は正直言って厳しい。さらに冷暖房機器、デジタル映写機器の更新時期が迫っていて、合わせると1千万円を超える費用になりそうです。更新用の資金を少しずつ積み立てていたのですが、コロナ禍で続く赤字の埋め合わせにほぼ充ててしまいました。でも、これを次のステップに進む機会と捉え、クラウドファンディングや、劇場用CMを製作するなど新しいことにチャレンジしたいと考えています。それに、基本的には(経営は)ギリギリでいいから、世界の多様な作品を上映するということは変わりません」

 ひろみさん「心にずしんとくる、すごい映画に出会ったときの感動って、何にも替えられないですよね。私自身、キノに救われている部分がすごくあります。今月も札幌出身の三宅唱監督の『ケイコ 目を澄ませて』や、ノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの原作を映像化した『あのこと』など、そうした力のある作品を上映します。先日、若いカップルがロビーに置いてあるチラシを見ながら『スクリーンで見るのが好きになった』と話していて。こうやって映画と出会ってくれるんだなぁ、とうれしかった。よく取材のときに今後の目標をたずねられるんですが、ないんです。続けることだけ。全ての人ではないけど、一部の人にとってはなくてはならない、人生を豊かにしてくれる場として、なんとか続けていきたいと思っています」

<略歴>なかじま・よう 1950年、山口県下関市生まれ。3歳から神戸で育つ。68年、北大入学。東京で映画の助監督や撮影助手などを経験後、72年に札幌に戻る。86年に映像ギャラリー「イメージ・ガレリオ」を札幌市内に開設し、自身も映像作品やインスタレーションなど発表。92年、「シアターキノ」開館。2018年から映像作家活動を再開。
<略歴>なかじま・ひろみ 1954年、帯広市生まれ。藤女子短大国文科卒。80年に中島洋と結婚。洋とともに開館した「シアターキノ」の支配人を務める。

<取材後記>小学生のころ、地元のミニシアターに初めて連れていってもらったときのことは鮮明に覚えている。何だか大人の世界にこっそり入れてもらったような、不思議な高揚感があった。どんなに動画配信が普及しても、いや、普及するほどに、あの小さな空間で過ごす時間はより魅力を増す気がする。だからなおさら、コロナ禍のミニシアターへの打撃の深刻さは気がかりだ。