東京裁判とニュルンベルク裁判

東京裁判ニュルンベルク裁判

法学部 政治学科 3年 04142014
寺嶋 恵

 

http://www.ic.daito.ac.jp/~uriu/thesis/2006/terashima.html

 

第2章 評価

 極東国際国事裁判では、戦勝国が敗戦国を裁くという構造で、その評価では議論の対象となることが多い。この裁判では、原子爆弾の使用など連合国軍の行為は対象とされず、証人のすべてに偽証罪を問わなかった。また、刑法決定主義・法の不遡及が保証されなかったことの指摘も多い。開廷中や裁判終了後を通じて多くの論争を引き起こした。裁判は真珠湾奇襲に対するアメリカの復讐、日本に対する核兵器の使用というアメリカの国家的犯罪を緩和するための手段かとの声が上がっていた。裁判の弁護団を含む一部の者は、裁判の法的根拠の正当性を攻撃した。平和と人道に対する罪の法的カテゴリーはロンドン会議における事後法で、これらの犯罪は1945年以前には国際法として存在していなかったと批判された。批判派は、キーナン主席検察官でさえ国家行為の法的責任を個人にかえすことが適当かどうか疑義を抱いている事実を指摘した。当時の国際条約は、現在ほど発達しておらず、当時の国際軍事裁判においては、現在の国際裁判の常識と異なる点が多く見られた。

 

第二次世界大戦の前後で大小さまざまな戦争が行なわれているが、戦争のあとで、裁判によって戦争責任が追及されたのはニュルンベルクと東京の裁判だけであった。ポツダム宣言10項の規定で、そこには「連合国の捕虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人」を処罰するとして定められていた。しかし東京裁判の弁護側が指摘したとおり、ポツダム宣言が受託された当時、「戦争犯罪人」という言葉は、捕虜の虐待や一般住民の殺傷のような戦時法規の違反者を指していた。つまり「通例の戦争犯罪」を犯した者の意味であって、戦争を行なうことは犯罪とはみなされてなかった。なので、第二次世界大戦のあとでも、通例の戦争犯罪人を処罰するにとどめ、ドイツや日本の戦争責任については、国際世論や国内世論の道義的判断に委ねることも可能だった。逆に戦争中の指導者たちを逮捕することも不可能ではなかった。しかし、1945年、夏のロンドン会議において戦勝国たる連合国側は、裁判により戦敗国の指導者の戦争責任を追及する道を選んだのである。