「汲む —Y・Yに— 」       茨木のり子

  「汲む —Y・Yに— 」       茨木のり子

 

 大人になるというのは

 すれっからしになることだと

 思い込んでいた少女の頃

 立居振舞の美しい

 発音の正確な

 素敵な女のひとと会いました

 

 そのひとは私の背のびを見すかしたように

 なにげない話に言いました

 

 初々(ういうい)しさが大切なの

 人に対しても世の中に対しても

 人を人とも思わなくなったとき

 堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを

 隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

 

 私はどきんとし

 そして深く悟りました

 

 大人になってもどきまぎしたっていいんだな

 ぎこちない挨拶 醜く赤くなる

 失語症 なめらかでないしぐさ

 子供の悪態にさえ傷ついてしまう

 頼りない生牡蠣(なまがき)のような感受性

 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな

 年老いても咲きたての薔薇 柔らかく

 外にむかってひらかれるのこそ難しい

 あらゆる仕事

 すべてのいい仕事の核には

 震える弱いアンテナが隠されている きっと……

 

 わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました

 たちかえり

 今もときどきその意味を

 ひっそり汲むことがあるのです   

 

      (詩集『おんなのことば』童話屋・1994年刊)