異才のドキュメンタリー映画監督、原一男さん(77)の最新作「水俣曼荼羅(まんだら)」が今月23日、札幌の映画館シアターキノで上映される。6時間12分の超長編だ。熊本県水俣市のチッソ水俣工場が海に垂れ流した有機水銀が原因で発生した水俣病。公式確認から66年たっても「全く解決していない」と原さんは言う。事前に6時間映画を見て、原さんに2時間インタビューして、水俣病事件を考えた。(編集委員 関口裕士)
<6時間が長いか、短いか。いまだに公的に認定されずにいる水俣の患者たちの、ほとんど人生に等しい待ち時間に比べると、一瞬のようなものではないか>。映画「水俣曼荼羅」の公式ホームページに比較文学者の四方田(よもた)犬彦さんが寄せたコメントだ。原さんも「6時間でも短い。到底描ききれない」と話す。合計千時間に及んだ撮影のスタートは2004年秋、水俣病関西訴訟の最高裁判決の場面からだ。判決は、水俣病の被害が拡大したことに対する国と熊本県の責任を認め、国の認定基準の見直しも迫った。映画は、従来の認定基準が厳しすぎるとしてそれを覆す説を唱える熊本大の医師をはじめ、さまざまな立場の患者や家族、支援者の日常や感情の揺れを深く掘り下げて映し出す。「ドキュメンタリーは人間の感情を描くもの」と原さんは考えている。胎児性水俣病患者の女性が自らの恋愛について語る場面は楽しくも切ない。
■責任逃れの企業
天皇の戦争責任や上官の戦争犯罪を過激なまでに追及する元日本兵が主人公の「ゆきゆきて、神軍」で知られる原さん。記者は4年前、アスベスト被害者が国と対峙(たいじ)する姿を描いた「ニッポン国VS泉南石綿(いしわた)村」を作った時もインタビューしたことがある。権力が行使される場面はたいてい隠される、隠された権力の中枢を暴きたい、と話していた。
今回も、被害者だけでなく権力側にも執拗(しつよう)にカメラを向ける。「水俣病事件の歴史とは、加害企業と行政、つまり権力を持つ側が、解決しようという姿勢さえ見せなかった歴史」と原さんは語る。「これほど長い間解決されないと、庶民の側は自分の生活を自分で守らざるを得なくなる。すると自分の利益とみんなの利益がぶつかり合うようなところに追い込まれ、分断も起きる」とみる。
権力側は大臣も知事も担当者もコロコロ替わる。重要書類は破棄される。企業は責任を逃れようとする。
熊本県が患者認定作業を放置したことの責任を認めた13年の最高裁判決後、知事は作業の加速を約束した。だが、結果どうなったか。映画の字幕で紹介される数字が物語る。
14年度 認定0名 棄却11名
15年度 認定2名 棄却97名
16年度 認定2名 棄却246名
17年度 認定0名 棄却314名
18年度 認定0名 棄却301名
■想像力働かせて
「庶民は権力にあらがわないといけない。そんな人間を描きたい」と原さんは思っている。ただ「公害被害者=正義の人々」というパターン化された描き方からは距離を置く。「今、水俣に行っても患者の運動は盛り上がっていない。闘いの風化も進んでいる。なぜ諦めが広がるのか、庶民のジレンマや葛藤をどう描くか、今回の作品で探った」。権力批判だけではない。患者運動の美化でもない。清濁ないまぜになった水俣の感情について「映画を見た人が想像力を働かせてほしい」と原さんは言う。
原さんは20年に及ぶ水俣の取材を通じて「水俣病事件は終わっていない」と確信した。「今もねじれていて、不条理があり、二重苦、三重苦がある」
映画「水俣曼荼羅」は、札幌市中央区南3西6のシアターキノで23日午前9時30分から上映される。途中2回の休憩を挟み、上映終了は午後4時10分ごろ。その後、原一男監督が制作の経緯や作品に込めた思いなどを約1時間話す。前売り券は3600円で販売中。問い合わせはキノ、電話011・231・9355へ。