思うようにはならない大きなもの

連載17回
人間社会の始まり──狩猟採集生活でのアニミズムとその現代的意味

中村桂子

 

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 自然は、科学ですべてを解明できるものではありません。生命誌は、科学に拠って科学を超える知として組み立てているので、自然の一部である人間(ヒト)として、自然に、思うようにはならない大きなものを感じることを素直に認めざるを得ません。「私たち生きものの中の私」として生きている私は、クマ送りをするアイヌの人々、更には古代の狩猟採集民と同じように、超越した他界ではなく、自分と同じ世界の続きに存在するものとして「不思議な何か」を意識しています。それは私たちとつながっていながら、私たちの力で自由にできるものではない何かです。アイヌの場合、カミがクマの仮面を被って人間の世界に現れることになるのは、カミの世界が人間の世界から超越したものではなく、動物を通して連絡できるものとなっていることを示します。私たち生きものという実感はこれと重なります。

 

二元論の盲点

 この関係について、中沢新一さんが、「メビウスの帯」で考えるというみごとな示唆を与えて下さいます。メビウスの帯はご存知ですね。紙テープを一度ねじってから貼り合わせるとできる輪には、表裏があるように見えながら、表と裏がつながっています。アニミズムの世界では、私たちが暮らす世界とカミの世界とがどちらでもあり得るという、メビウスの帯のような通路があると考えられます。アイヌのクマ送りでは、あちらへ行ったクマがまた戻ってきてくれる、つまり通路を行ったり来たりすると考えるわけです。

 一方生命誌では、科学研究によって明らかになった生きものの姿を見つめ、その本質を知ることで世界観をつくりあげ、生き方を考えていこうとしています。生命誌での世界観は生きていることと死ぬこと、人間と自然など、一見分けられるもののように語られる事柄が、実はメビウスの帯の表と裏と考えると、実態が見えてくることを明らかにしています。生きものの世界はこのような形でつながっているのです。

 現代社会では、すべてを二元論で考えます。生命に関わることも生と死、男と女、遺伝と環境などと、あたかも両者が対立するものであるかのように語られます。けれども生きものの実態はきれいに二分されるものではありません。生と死も、男と女も、遺伝と環境も、入れ子になってつながっているのです。メビウスの帯です。すべてを二分し、時にそれを対立させたり○か×かを決めつけたりする現代を考えると、改めて、鶴見和子さんと話し合った生き方の大切さ、とくにいのちに対する畏れを抱くことの大切さを思います。