信仰とカルトのはざまで 木村友祐 (小説家)

信仰とカルトのはざまで
木村友祐(小説家)

 

2022/08/25

 

imidas.jp

 

 凶弾に斃(たお)れた安倍晋三氏が残していった(彼らしい)途方もない置き土産が、連日大きな注目を集めている。旧称「世界基督教統一神霊協会」(現在の「世界平和統一家庭連合」)と自民党との長年の癒着が続々と明らかになっているからだ。マスコミは「旧統一教会」と書くけれど、そのカルト性を表すには「神霊」をつけるべきだと思う。また、元の正式名称では「協会」となっているのだから、従来のキリスト教の教会と区別する意味でも、ここでは「旧統一神霊協会」と書く。
 そんな折に便乗商法よろしく、のこのこと顔をだすのだが、ほとんど無名とはいえ一応小説家を肩書きとしているぼくは、過去に旧統一神霊協会にはまりかけた経験があった。でもそのことを、つい最近まで公の場で話したことはない。
 なぜって、それはできれば隠しておきたい自分の恥部に当たるから。「小説家」という、対象と距離を保つ冷静さと批判的分析力を足場にする(とイメージされている)立場にいる者が、かつて怪しげな霊感商法だの合同結婚式だのを行う教団に関わっていたなんて、なんだか情けない(あとで述べるが、勧誘だの霊感商法をやらされる本格的な信者になる前に教団を抜けた)。

 公の場で初めて話したのは、2019年に書いた小説「幼な子の聖戦」が芥川賞候補となったことを受けて開催された、新聞各社が集まる合同取材(結果が決まる前に取材しておく事前取材)の場だったと思う。地方選挙のゴタゴタに日本社会の縮図を描き込もうとしたその作品の中に、旧統一神霊協会に入信しかけた体験をほとんどそのまま書いた。なぜそれを書いたかという理由として「いつか独立した一本の作品として書こうと思っていたが、小説の舞台のモデルになった村にはキリストの墓伝説があって、そこに引きずられて出てきた」というようなことを言ったはず。
 だけど、集まった記者からはとくに反応がなかったから、実際に話したかどうかも今では記憶が曖昧である。合同取材の内容は芥川賞に落選したから記事にはならなかったし(もうやめようよ事前取材)。
 最近、必要があってこの作品を読み直したら、こんなにも「信心」や「信仰」のことに重きを置いた書き方だったのかと自分で驚いた。そういえば、主人公の蜂谷(はちや)がラストに「不信心者(もん)が」と周囲の男たちに向かって心の中で吐き捨てる場面を書いたときは、蜂谷の心情そのままに「お前ら、生きることに対する敬虔さを忘れてないか?」という問いをぶつける気持ちだった。
 信仰そして生に対する敬虔さは、生きることの根幹に関わることだという思いがあったからだが、残念ながら芥川賞の選考会ではそこに着目した選考委員はいなかったようだし、大手全国紙の書評委員が書く書評には、この本はほとんど取り上げられなかった。まぁ、作者は読者に作品を委ねたのだから、読んでほしいところが読まれなくても、ジッと口を閉ざすしかないのだけど。
 これからぼくは教団にはまった経緯をサンプルとして差しだそうと思うのだが、もはや断片的にしかおぼえていない。断片の周りを想像で補うような書き方になることを最初にお断りします。

 

 2020年に刊行された木村友祐さんの著書『幼な子の聖戦』(集英社

 あれはたしか1991年の、季節はおそらく春だったと思う。映画でも観に行こうとしていたのだろう、池袋駅東口の横断歩道を渡ったときだった。唐突に、「意識調査のアンケートにお答えいただけませんか?」と女性に声をかけられた。大学生のぼくより年上の、質素で素朴な雰囲気のお姉さん2人組。無視してもよかったが、ぼくはそこで足を止めた。雑踏の中の見知らぬ他人とはいえ、彼女たちを傷つけないで、きちんと人として接しようと思ったのだ(分岐点1/お人よしの心に付け込まれる)。当時は大学3年。一緒に遊ぶような友だちも恋人もいなかったぼくは、女性に声をかけられたことが心の底ではうれしかったはずだ。
 アンケートの項目は、当たり障りのないものだったと思う。どんなだったっけと試しに検索したら、ヤフー知恵袋に同じようにアンケートを受けた人の質問が載っていて、その人は「興味のある分野」「人生の意味」「将来の夢」などを聞かれたそうだ。
 アンケートに答えるぼくは、彼女たちが旧統一神霊協会の信者だとはもちろん気づいていないのだが(教団の存在は知っていた)、なぜそこからわざわざ教団が運営するビデオセンターについていったのか、記憶が抜けている。なんとなくおぼえているのは、挑発に自分から乗った、という感覚だ。「神はいると思いますか?」と聞かれ、「いないでしょう。いたらなんで悲惨な戦争があちこちで起こるんですか?」と答えたぼくに「もしいたら会ってみたいと思いませんか?」と思わせぶりに聞いてきた、という経緯があったように思う。というのも、「いるなら見せてくれよ」と内心せせら笑っていた気持ちは残っているから。大学2年のときに物書きになると決めた文学青年で、世の中を皮肉な目で見ていると自負していたぼくは、もしこの人たちの団体が怪しければすぐに見分けられると思っていた(分岐点2/自分の批判的思考への過信)。

 

 ビデオセンター(以下「センター」)が入っているビルの一室に行くと、聖フランチェスコの若いときを描いた『ブラザー・サン シスター・ムーン』(フランコ・ゼフィレッリ監督)のビデオをビデオブースで観た。どういう流れでそうなったのか、もしかすれば「神の存在を感じられますよ」という誘い文句があったのかもしれない。あちらは引っかけのプロだから、ぼくの関心を引くことなどわけないのだ。そしてまさに、その映画はとてもよかった。心にしみた。今観てもいい映画だと思う(分岐点3/芸術系の大学にいたぼくは、『ブラザー・サン シスター・ムーン』に抱いた信頼と、その映画をぼくに示した団体への信頼をどこかで重ねた)。
 うっすらと思いだしてきたが、意識調査の女性やセンターでぼくの相手をした男性スタッフは、ここでは聖書の勉強ができますよと言っていた気がする。大学生という、自分の可能性を貪欲に広げようとする時期で、しかも物書きになろうとしていたぼくは、聖書は一度はちゃんと読んでおいたほうがいいだろうと思い、センターに通うようになるのだった。なんといっても、接する人たちがみんな感じがよくて、こちらが言うことをちゃんと受けとめて聞いてくれるから、居心地がよかった。みんながいい人だから、こちらも柄になくいい人になる。そのことに気恥ずかしいこそばゆさを感じつつも、悪くない気持ちだった。
 今思えば、神はいるのか・いないのか、この世に意味はあるのか・ないのかといった、ふだんの生活の中では話さない・話せないことを、セミナーの場では遠慮する必要もなく存分に話せるという、心の飢えを満たしてくれる充足感があった。彼女・彼らの中にいると皮肉っぽいことを言う自分がいちばん不良である気がしたが、それでも「ほんとうはおれはこういう話がしたかったんだ」と思う自分がいた。世の中の、にぎやかで即物的で、恋愛(性愛)が世界の中心だと謳っているような風潮に乗れずにいる自分を、「これでいいんだ。こっちがほんとうなんだ」と肯定できる気がしたのだった。

 それからぼくは、センター主催のセミナー合宿にまで行くことになった。合宿に行けばこの世の秘密がわかると言われたのだろう。2日間の「ツーデイズ」に行き、さらに4日間の「フォーデイズ」にまで行ってしまう。
 都心からだいぶ離れた、小高い山の中にある宿舎で合宿したのだが、そこでどんな講義が行われ、どんな心理状態になったのかは「幼な子の聖戦」にくわしく書いた。そこから1つ重要なことを抜きだすなら、合宿での講義を聴く際、最初に吹き込まれるのは、「幼な子」つまり無垢な幼児のように疑ったり批判したりしないで聴くべし、なぜなら批判的思考は真実から遠ざけようとする「サタン」のそそのかしなのだから、という講師の教えだ。すべてをそのままに受け入れる幼児のあどけなさを「善きもの」とする認識、でも大人になった自分はその無垢な魂からかけ離れてしまったという自責はもともとあって、人が持つ罪悪感を最大限に活用する教団はそこを突く。
 合宿では現在テレビで報じているような、地獄で苦しむ先祖を救うために献金しなければとか、韓国(朝鮮半島)を植民地にした日本は罪深いエバ国家なのだからアダム国家である韓国にすべてを貢いで罪を浄化しなければならないなどのおどろおどろしい教義を教えられたかどうか、おぼえていない(さわりの部分は聞かされたかもしれない)。「秘密は明かされる」として2日間の合宿から4日間の合宿に誘い、その最後の最後で自分たちが統一神霊協会であることを明かすまでに、念入りに、周到に、「この教義は怪しい」と感じるための批判的思考の根を絶つのである。そして、ヤバい教義を仕込みやすくするための心の素地をつくっていく。
 講義では誰かのために生きることの大切さを「ために生きる」という耳に残るフレーズで繰り返すのだが、それだけ切り取れば異論のない良い教えも、やがて地獄で苦しむ先祖を救うために献金することにつながっていくのだろう。

 ぼくは分岐点2のように自分の批判的思考はどんな場合でも機能すると過信してるから、批判的な捉え方をなるべく弱めて、講師が言うように疑わずに聴くことをまずやってみようと思った。しかしそこは下界から隔絶した山の中。教団の世界観で占められた閉鎖空間ともいえる。効果はてきめんだった。ぼく自身は批判的思考を保持したつもりでいながら、講師がドラマチックに語る神と人の物語に泣いたり笑ったりして、そのうち頭上の空の向こうに見えない「父なる神」の存在を探るような精神状態になっていた。けれどそれは否定的な側面ばかりではなくて、むしろ、知らず知らずのうちに肩にずっと載せていた重荷(存在する意味が根本的には不明であるこの世界で、生きる意味もじつは不明なまま自分1人で生きているという感覚)をおろしたような解放感や至福の感情とセットになっていたのだった。信仰には恍惚や快楽がともない、自分が今ここにいる意味を確認できる、地に足のついた心の安定をもたらすものだという発見がそこにあった。

 結果、ここが統一神霊協会だと聞かされたときのぼくの最初の心の声は、苦笑まじりの「なんだよ結局そうか」だった。「まいったね」と。事態がうまく飲み込めなかったのか、「だましたな」と怒る感情は不思議に湧かなかった。
 はっきりとおぼえていないのが残念だが、たしかこのタイミングで、教祖の文鮮明氏が岸信介氏をはじめとする日本の政治の中枢にいる者と懇意にしているという驚きのエピソードも聞かされたように思う。これから信者になろうとする者や現役信者に対し、政権をになう政治家と教団の密接なつながりを示すことは、教団の正当性を確固たるものにし、実際に世界を神の国に変える力があるのだと信じ込ませるための最強の道具立てになるだろう。
 だから、旧統一神霊協会の関連団体の催しに参加したり、祝電を送ったりすることが、教団の企てに乗せられる者の被害増大にどれほど加担しているか、関わった政治家はすっとぼけてないで謝罪・猛省すべきなのは明白だ。被害が長年続いたのは「あなた」にも責任がある。本来であれば、自民党を率いる岸田総理はあんなふうに涼しい顔をしていられないはずだ。

 その後、スタッフの男性1人と別室で面談したのをおぼえている。おそらく参加者の動揺をケアするための面談だったと推測するが、ぼくが「いやぁ、驚きましたね……」と正直に気持ちを伝えていると、ふと、宿舎の備品なのか、テーブルに無造作に置かれた新品の週刊誌の表紙に、統一神霊協会の霊感商法についての見出しが大きく載っていることに気がついた。
 スタッフに「でもこれは?」と指で示すと、はじめてそれに気づいたふうの彼は「サタンも今、必死で攻撃してるんですよ」と取り繕って答え、ぼくのほうは半信半疑ながらそれ以上反論はしなかった。つまり、そのときの精神状態というのは、「サタン」と言われればなんとなくすべて受け入れてしまう状態だったのである。

 そこからどうやって教団を抜けたのか。もうすっかり忘れていて、母に何か言われたような記憶は残っていたから、この原稿を書くにあたり電話して聞いてみた。そこからわかったのは、ぼくはさらに本格的な長期間の研修に行こうとしていた、ということだった。研修に入るとしばらく連絡が取れなくなることを母に電話で伝えたようだ。ぼくの中にもこのまま行ってしまっていいのか不安があって、自分がいちばん愛着を抱くもの、たとえば家族にサタンが宿ると教団に言われながらも伝えたと思われる。なんの研修に行くのか聞かれた際に教団名も伝えただろう。母は、当時、旧統一神霊協会の被害が問題になっていたことをおぼえていて、一度頭を冷やした方がいいと思い、郷里に帰ってくることを勧めたという。ぼくはそれに応じた。

 

 母と6歳離れた兄とぼくで、3人の話し合いの場がもたれた。母は、信仰自体を否定はしないことを強調したという。母の母であるぼくの祖母は、3人の幼い子どもを抱えながら、ぼくの祖父である連れ合いを戦争で失った。1人で3人を養わなければならない重責に加え、嫁いだ先から子どもを置いて出て行けと言われるという苦しみのさなか、支えになってくれたのは近所の天理教の信者の女性だった。その女性は、独り身でいるとよからぬ噂が立つからと、夜は家に来て泊まってくれ、祖母の心に寄り添いながら、人のことを悪く言うものではないと諭してくれた。
 また、青森の片田舎にも米軍が進駐しており、女性が被害にあう事件が起きているなか、道で遭遇した3人の米兵を前にして命がけの盾となって祖母を守ったのも天理教の信者の男性だったという。しかも、地域の天理教の長は、祖母には信徒となるよりも子どもを育て上げることを勧めた。お布施するにも、わずかでいいと。その恩を祖母はずっと忘れたことはなかった。祖母から聞かされた話を母はぼくに伝え、だから信仰するのは否定しないけど、まだ世の中の道理もわからぬ学生なのだから、もっと歳をとってから入信するかどうかを決めたほうがいいと言った。

 すると、驚いたことに、兄もまた旧統一神霊協会のセミナー合宿に行ったことがあると話しだした。兄を身近で知っている者には意外すぎて笑ってしまうかもしれない。兄はハーレー乗りで、怒れば大学のボクシング部で鍛えた手がでる、足もでるという時々武闘派になるワイルド系の人だ。
 その兄が20代のとき、風邪をひいてアパートの部屋で寝込んでいるとき、布教に来た教団の女性が部屋に上がり看病してくれた。当時は失恋したり何もかもうまくいかず落ち込んでいたが、女性に「あなたには坂本龍馬の相が出ている」と言われてその気になり、40万円もする印鑑3本セットを買ったという(部屋には坂本龍馬の本があった。印鑑は今も使っている)。
 その女性に勧められて合宿に行くことになったのだが、講義で教えられる内容に兄は違和感を抱く。講師の話は、なんだかここで学んでいる者以外は人も動物も物質もみんなサタンの側にいるという感じに聞こえる。だけど、朝に洗面所で見かけた蠅だって、地上で何かの大事な役割をつとめているはずだろう、それでもサタンだというのか?
 合宿では参加者を班分けして、それぞれに指導役のスタッフがつく。その指導役の男性に向かって、怒れば口もなめらかな兄は、あたかもボクシングのコンビネーション、ジャブ・ジャブ・ワンツーストレート・フックの連打を繰りだすように、ありとあらゆる疑念をぶつけた。自己紹介のときに実家は仏教のお寺だと言っていた男性に、お前は聖書を教えるここで何をやっているのかとも問いつめたらしい。男性は完全に反論を封じられ、兄のいた班の全員がその後退会を申し出たという。兄らしい暴れぶりだと思う。

 どうりで、兄が借りたアパートにそのままぼくが入ったとき、部屋になぜか聖書があり、ページの余白に何か書き込みがしてあったわけだ。兄弟ふたりで教団にはまりかけていたのかと大笑いした記憶があるが、母が言うにはぼくは話を聞きながら泣いていたらしい。だとすれば、笑いながら泣いていたのだと思う。
 母と兄の話にぼくは心を動かされたのだが、それでもまだ、これもサタンの誘惑なのではないかという懸念を払拭できたわけではなかった。だが、この家族をサタンだと決めつけることは、ぼくには到底できなかった。サタンならサタンでもいいと思った。そして、(ここがカッコいいのでよく聞いてほしいのだが)文学はサタンの側に身を置いて書くものだろうと思ったのだ。
 東京に戻ったぼくは、研修には行かないこと、教団には入らないことを告げた。指導役のスタッフの男性は「あなた、地獄に落ちますよ」と言った。ぼくはそこでようやくはっきりと教団の素顔を見た思いで、笑って、「幼な子の聖戦」にも書いた文句を言い返した。
「落としてください。そしたら、ああ、神はいたんだと思って反省しますから。そして、そのときは、地獄に落ちたぼくを、あなたが救ってくださいよ」

 このようにしてぼくは、本格的な信者となる一歩手前で教団から離れることができた。だけど、もしあのまま研修に行っていたら、相手を罪から救うための方便と思い込んで噓をついて勧誘し、高額な商品を買わせる信者になっていたかもしれない。たまたまぼくは信頼できる家族がいたから、そして文学があったからかろうじて踏みとどまれたのだが(文学だって場合によってはカルトになりうるけど)、家族仲が悪ければ制止の声に反発して(サタンの声とみなして)そのまま突き進んでいっただろう。そしてそういう人々は多いはずだ。
 旧統一神霊協会が名前を隠して勧誘することは、卑劣で卑怯極まりないのは言うまでもない。相手の同意もなく、教義を滞りなくインストールするために本人が知らぬ間に洗脳するのだから。教団の利益のために了解もなく他人の心を操作するのは犯罪だろう。
 ただ、旧統一神霊協会と知る前のビデオセンターの空間に居心地のよさをたしかに感じたように、カルト教団が付け入る空洞は、この世界があることの意味(理由)の根源的な不在や、その不在部分を埋める機能をもつ信仰について考えることをせず、各宗教のセレモニーばかり消費してきた日本のぼくら全員の足元に広がっているのだと思う。

 必ず解答がある試験問題をクリアする方向に特化した教育。この世界があることの問いには解答がないことを教師も親も教えない。わかっているふりばかりして、子どもと一緒になってわからなさを分かち合うこともしない。
 そんな世の中にうまく適応できているうちは何も疑問は湧かないだろう。体に宿る生命力は、根拠がなくても生きることの肯定に向かう。取り組むべき目標に向かっていたり、周囲からも評価されて心身が充実しているときには、この世に意味があるのかないのかなんて考えは忘れている。忘れているから生きられるともいえる。
 しかし世の中の流れや人間関係に適応できずに孤独に陥ったり、意味を感じられない仕事をこなす毎日に消耗したり、自分の力ではどうにもならない理不尽な出来事に見舞われたとき、ずっと目を向けてこなかった虚無の深淵が足元にパックリ口を開く。
 解答はない。というより、「こうだ」と明確にわかる形で答えが与えられることは決してない。そのことにどう折り合いをつけるか、どう解釈をするかは自分に委ねられている。そして、誰かに与えられた規範や教義や神話ではなく、自分自身の「主観」で究極の謎に折り合いをつける解釈をしていいのだし、それしかないのである。

 ただ、ぼくとしては、この世に生きる意味を「愛のため」とかなんとかに無理やりこじつけるのではなく、「結局のところわからない」という認識を保持することが誠実な態度ではないかと思っている。「わからない」という空白を残すということは、この世界がただ無意味に突発的に湧いて出てきただけという恐ろしい可能性を視野に入れながらも、決めつけはせず、「でも何かあるのかも」という1パーセントの余地を残す態度である。100パーセント無意味で即物的であると決めつけるのは傲慢ではないだろうか(なぜならそれだって根拠を示すことはできないから)。
 その意味ではぼくは基本的に無神論者ではあるが、1パーセントの信仰者でもある。ふだんこんなことは誰にも言わないし書かないが、この際だから打ち明けてしまおう。ぼくは、自分がほんとうには何も知らないという謙虚さと、この世界があり、自分が今ここにいることへの敬虔の念だけは手放したくないのである。これは旧統一神霊協会に入りかけた経験からそうなったというより、それ以前の振りだしに戻っただけなのだが、今思えばその1パーセントの余地の部分にカルト思想が忍び込んだのだろう。
 しかし、こう考えてくると、人間存在というものの根本は、じつはかなりフィクション的な不確かなものの上に立脚しているように思えてくる。だが、あまりこの考えにとらわれてしまうと危険だ。

 

 青臭い話に辟易(へきえき)しただろうか。だが、どんなに鼻で笑おうが、その青臭い問題は解決されるわけではない。そしてそれがあるかぎり、信仰にまつわる被害もなくならないだろう。なんといっても、この日本という国自体が、神の子孫を頂点にいただくという前近代的・非科学的な信仰をいまだに維持しているのだから。

 最後に、教団を抜けてからも、しばらくはその影響から離れられなかったことをお伝えする。旧統一神霊協会がほんとうに神の意思を体現するところだったらどうしよう、神がホントにいたならどうしようという感じで、自分は間違ったほうに来てしまったのではないかという不安をどこかで感じていた。
 憔悴していると見えたのか、母はぼくに、車で30分ほど離れた場所にある牧場で大学の夏休みの間働くよう促した。ぼくは牧場内にあるユースホステルで、早朝から宿泊客にだす朝食の用意や片付け、ベッドメイキングや夕飯の支度などの細々した仕事をこなした。
 そこもまたある意味で世俗を離れた場所といえたが、人柄のよい牧場の社長のぽっちゃりした顔つきが文鮮明氏のそれに妙に似ているとか、バイクで旅をしながら途中にある牧場で仕事をしているというカッコいい男性とユースホステルで働く地元の女性がなんだかいい仲みたいだとか、外の水場に誰かが置き忘れていったシリコン製のふにゃふにゃした道具があったりとか、心をざわつかせる出来事に満ちている点ではたしかに俗事にまみれた現実の世だった。
 それでも、宿泊客にハーブティーをだすために畑でカモミールの花やレモンバームの葉を摘んだり、夜には牧場の草の上で仰向けに寝転んで、星が一瞬またたいて流れるのを眺めたりしていると、ゆっくりと心が落ちついていくのを感じた。自分の体がここにあり、生き物たちと自然が織りなす世界がある。この世に意味があるかどうかよりも、その実感をきちんと感じとるほうに大切な何かがあるような気がした。

 そんな日々を送る中、食堂の掃除をしているとき、テレビに映っていた沖縄の光あふれる景色に憧れた。おれも旅にでよう、沖縄から旅をはじめようと漠然と思った。
 大学を卒業した後、築地市場で1年間アルバイトをして、山登り用のでかいバックパックに荷物を詰めてフェリーで沖縄に向かった。そこでたまたま出会った人も旅の人で、自分が泊まっている友人のアパートに誘ってくれた。意外な展開に身をまかせるままに、その部屋に居候させてもらうことになったのだが、部屋の主である友人はたまにしか帰ってこない。
 おそらく20代の、気さくで軽やかな雰囲気の彼は、もともとは本州から旅行で来た人で、どういう経緯か、今は沖縄にあるキリスト教系の新興宗教の施設に入り浸っているという。
 どうして人はそこに引き寄せられるのかと考えこんだ。その旅で出会った人たちは、ぼく同様に本州の日常から逃げてきたようなヤマトンチュばかりだった。お世話になった思いよりも同類を厭(いと)う心のほうが働いて、旅を終えたあとにぼくから連絡をとることはしなかった。