山上徹也容疑者の生きづらさ《安倍元首相銃撃事件》 中島岳志 2022/7/26

山上徹也容疑者の生きづらさ《安倍元首相銃撃事件》 中島岳志

2022/7/26 東京新聞

 

 安倍晋三元首相銃撃事件で逮捕された山上徹也容疑者のものとみられるツイッターアカウントの投稿を読んだ。約2年9カ月にわたって書かれたツイートからは、生きづらさと鬱屈を抱えた中年男性が、排外主義的でパターナル(父権的)な思想に傾斜する姿が浮かび上がる。その言葉は、対象に対して常に攻撃的で、冷笑的だ。
 山上容疑者は、自らの人生の行き詰まりの根源を、母の「統一教会」への入信に求める。「統一教会」は1954年に韓国で創設された新興宗教で、『聖書』を独自に解釈した家族主義的思想を主張する。山上容疑者の「統一教会」批判は、韓国・北朝鮮への悪感情へとつながり、ツイートには両国に対する罵詈雑言が並ぶ。この「嫌韓」意識が、彼の右傾化の発端にあったのかもしれない。
 しかし、この右派メンタリティーは、重大な矛盾にぶつかる。「統一教会」は「朝鮮民族主義の極右」であり、「日本の不倶戴天の敵」でありながら、右派的傾向を持つ安倍政権と結びつきを持っている(2019年10月13日ツイート)。「統一教会」では、日本を「エバ国家」と見なし、「アダム国家」である韓国に尽くす義務があるとされる。日本の右派にとって受け入れがたい主張がなされているにもかかわらず、なぜ安倍内閣はつながりを持つのか。
 山上容疑者曰く、その原因は「金と票、過去の経緯」にある(同)。安倍元首相にとって「統一教会」とのつながりは、「思想的な呼応よりも「金と票」が目的であり、背景には冷戦時代の「反共産主義」という利害関係によって結ばれた「過去の経緯」があるというのだ。ここに安倍元首相の政治姿勢に一定の共感を持ちながら、狙撃の対象と定めていく矛盾が生じる。「オレが憎むのは統一教会だけだ。結果として安倍政権に何があってもオレの知った事ではない」(同)
 山上容疑者の右派思想は、リベラルな主張を展開する論客への辛辣な批判となって表れる。特に顕著なのが、アンチ・フェミニズムというスタンスで、これと女性に対する偏見と優越感が連動する。
 山上容疑者がしきりに意識するのが「インセル」という存在である。これは「不本意な禁欲主義者」を意味し、自らの容姿を醜いと感じる男性が、女性からの蔑視によって恋愛関係が生まれないと信じている状態を指す。彼はたびたび「インセル」に言及しつつ、そこから距離をとろうとしながら、ふいに自らを重ね合わせる。
 そんな彼が21年4月28日に言及するのが、前日に文春オンラインで公開された杉田俊介の論考「『真の弱者は男性』『女性をあてがえ』...ネットで盛り上がる『弱者男性』論は差別的か?」である。杉田がここで論じるのは、自己の人生に誇りを持つことができず、惨めな思いを抱える男性の救済についてである。
 「弱者男性」たちの多くは、異性からの承認から疎外されるが故に、アンチ・フェミニズムへと傾斜し、時に攻撃的になる。実存の「つらさ」が、女性憎悪へと発展し、父権的なイデオロギーと結びつく。そして、「有名人になって一発逆転しなきゃ」と思い、ネット右翼的な過激な言葉に群がる。
 杉田は「男の弱さ」を「自分の弱さを認められない弱さ」であると指摘する。そして、「自分の弱さ(無知や無力)を受容し、そんな自分を肯定し、自己尊重していく」道筋を模索する。惨めさを抱えながらも「幸福に正しく---誰かを恨んだり攻撃したりしようとする衝動に打ち克って---生きられるなら、それはそのままに革命的な実践そのものになりうるだろう」。
 この杉田の呼びかけに対して、山上容疑者は「だがオレは拒否する」と応答する。誰かを恨まないという姿勢が正しさを帯びるのは、「誰も悪くない場合」であり、自分にとっては「明確な意思(99%悪意と見なしてよい)をもって私を弱者に追いやり、その上前でふんぞり返る奴がいる」という。彼の殺意は、杉田の言葉を乗り越えていく。
 評者が気になるのは、「だがオレは拒否する」と言ったときの「だが」という一言である。これは逆接の接続詞であり、杉田の主張を受け入れたことを意味する。しかし、彼は強い恨みによってそれを「拒否する」のだ。
 山上容疑者の深い部分に届いた言葉があった。批評があった。ここに暴力を超える言葉の力を求めたいが、元首相の狙撃が実行されたのも事実である。論壇がもつ可能性と限界を目前にし、茫然と立ち尽くす自分がいる。(なかじま・たけし=東京工業大教授)