打ち破られなかった民衆支配の構造       色川大吉

打ち破られなかった民衆支配の構造       色川大吉


江戸時代に制度化された、民衆支配の構造の問題


 第三の問題に入りたいと思います。これは、江戸時代、一七世紀に幕藩体制が確立したころ築きあげられた制度化された、民衆支配の構造の問題です。(中略)この装置は、かつて近世独自のものとして完成したもので、日本の民衆の中にある身分制をたくみに制度化し、境を接する階層間の対立を利用し、お互いを敵対させ、たたかわせながら、総体としては幕府が全民衆を支配し、統治してしまうという構造を持っていました。
 すなわち江戸時代の場合、民衆といっても本百姓が基本ですが、その上に村役人をおきます。村役人というのは一方で権力の手先であり他方では本百姓の代表でもあるという、引きさかれた存在です。また本百姓はいまでいう通俗の市民ですが、その下に市民権のない小前(こまえ)の百姓をおきます。これは経済的に立ち直れば本百姓になれるものです。その下にさらに被差別民をおき、被差別民を「穢多」と「非人」にわけ、「非人」は上昇することができるが、「穢多」は一生部落からぬけられないようにする。そしてさらにその外延に「蝦夷南島」の民を配置し、アイヌ琉球民を辺境の列島人種として「穢多・非人」よりももっと下におくという多重構造を制度化したのです。こうした仕組を制度化したというところに幕藩体制の差別政策の大きな意味があるわけです。
 それでどうなるかというと、本百姓と村役人はたえず小ぜりあいを起こす。本百姓は文句があると村役人を越えてその上の代官にお願いする。代官と村役人がまた小ぜりあいをやる。そうした対立がどうにもならなくなるとお殿さまに哀訴する、お殿さまでもダメなら将軍さまに直訴、というように、一段おきに遠隔救済されるというような構造になるわけです。
 一方、最底辺では小前の百姓と被差別民は猛烈な殺し合いもやります。たとえば明治初期に、士農工商身分制度が廃止され、「穢多・非人」制度も廃止されて「新平民」ができると、小前の百姓は極端な場合には、槍をもち、「穢多」部落におしかけ、「穢多」征伐というのをやる。「新平民」として自分たちと同格になるのが許せないというので襲うわけです。明治政府はこれを見て、いや名称を変えたんだ、と説明したのですが納得せず、竹槍が下にむくんです。いや、そういう風に仕向けたのだとも思われます。これは、岡山をはじめあちこちで起きるのです。これは、江戸時代に制度化された被支配の構造が、明治維新によっても突破されていなかったことを示しています。
 こうしたピラミッド型の支配構造の一番下、というより両サイドの辺境、あげ底としての琉球アイヌ、朝鮮が位置づけられるわけですが、ここでなぜ朝鮮が入ってくるのかといえば、明治政府が朝鮮を独立の外国と認めようとしなかったからです。外交儀礼上は外国扱いしていましたが、本音は外国と見なしていない、中国は外国と認めていましたが朝鮮は独立の外国ではないと考えていた。これは江戸時代の末期からある考えで、朝鮮というのは大和の国が存続するためにどうしても必要な付属品であって、あれはわれわれが支配下におかなければならないというような考え方です。明治政府はやがてこれを「利益線」「生命線」という言葉を使って論理的に、イデオロギー的に、正当化します。

            (『沖縄と色川大吉』 三木健編 2021年 不二出版)