「見えぬ手錠」 石川一雄さん仮出所28年 狭山事件の「差別」訴え 毎日新聞 2022/6/15

「見えぬ手錠」 石川一雄さん仮出所28年 狭山事件の「差別」訴え

毎日新聞 2022/6/15

 

 埼玉県狭山市で1963年に女子高校生が殺害された「狭山事件」。罪に問われた石川一雄さん(83)は59年間「部落差別が生んだ冤罪(えんざい)事件」と訴え、仮出所から28年間経った現在も再審を求めている。2回の再審請求が却下され、16年目に入った第3次請求の結論は、まだ出ていない。立ちはだかる「再審の壁」――。差別のない社会を求めて被差別部落の人たちが立ち上がった「全国水平社」創立から100年を迎えた中、石川さんは「このまま死ねない」と言う。痛憤である。【隈元浩彦】

 

 ――強盗殺人罪などで無期懲役となり、刑務所生活31年余。1994年末の仮出所から28年がたちます。

 ◆きょうも保護司に電話をしたところです。仮出獄で保護観察中ですから定期的に連絡しなくてはならない。冤罪が晴れていないので「見えない手錠」がかかったままなんです。仮出獄後も両親の仏壇に手を合わせていません。「冤罪を晴らして、この手錠を外すまでは手を合わせるわけにいかない」と心に決めています。連れ合い(妻の早智子さん)は墓参りに行っていますが、私は行きません。お袋もおやじも待っていると思いますよ。けれども殺人犯のままでは行けない。

 

 ――逮捕当時の取り調べは?

 ◆最初から「脅迫状を書いただろう」と言われましたが、当時は、自分の名前も満足に書けなかった。家が貧しく、小学校もほとんど行ってません。字が書けないから脅迫状は書いていないと言いましたが、「脅迫状を書いたのは間違いない」「認めろ」と責めたてられました。警察は何が何でも私を犯人にしたかったのです。


 当時の私が非識字者だったことは、第3次再審請求の中で証拠開示された、取り調べの録音テープを聞けば明らかなんです。

 

 ――第3次再審請求の申し立てから16年。最初の請求からだと45年近く。再審の壁は厚いですね。

 ◆検察が証拠を独占していることが問題です。都合の悪い証拠は隠し続ける。再審請求手続きでの証拠の全面開示や、再審が決定したら検察官による不服申し立てを禁じる事項を盛り込んだ再審法の改正は急務。でなければ、冤罪事件はいつまでも救済されない。


 それに証拠の評価について、裁判官の自由な判断に委ねる自由心証主義も問題です。著名な元判事がこんなことを言ったんです。「いい裁判官に当たればいいね」と。裁判官の良し悪しによって判断が変わってはたまらない。証拠で判断してもらいたい。

 ――被差別部落への差別事件という認識は。

 ◆無知だったもので、最初は気づきませんでした。拘置所で文字を覚えて部落差別ということがわかるようになりました。最初に覚えた字は、「無実」でした。本が読めるようになって、おやじが日雇いの日当を手渡しではなく、ザルに入れて渡されたことや、小学生のころ、商店に行って住所を言ったとたん、「二度と来るな」と言われた理由が分かりました。捜査自体が被差別地域を狙い撃ちしたものでした。


 ――今年は全国水平社創立100年です。

 ◆差別が解消に向かっているとは思えません。格差社会の中、自分を優位にするために、他者をさげすんだりする風潮は強まっている感じもします。相手を大事にすることが自分を大事にすることにつながると、水平社宣言は教えてくれます。

 

 ――狭山の地は。

 ◆やはり生まれ育った所はいいですね。私の無実を信じて声をかけてくださる方もいます。無実を勝ち取るまで、死ぬわけにはいきません。高齢で持病もありますので感染対策には十分気をつけています。長い冤罪の闘い。新証拠の鑑定人尋問を求めるこれからがヤマ場です。裁判官の正義を信じています。

 

石川一雄(いしかわ・かずお)さん
 1939年狭山市生まれ。63年5月に起きた「狭山事件」で逮捕。1審・旧浦和地裁(現さいたま地裁)で死刑、2審・東京高裁で無期懲役の判決を受けた。77年に最高裁で刑が確定した。無実を訴え続け、第3次再審請求中。