死して悠久の大義に生きる
口では必勝の信念を唱えながら、この段階では、日本の勝利を信じている職業軍人は一人もいなかった。ただ一勝を博してから、和平交渉に入るという、戦略の仮面をかぶった面子の意識に動かされていただけであった。しかも悠久の大義の美名の下に、若者に無益な死を強いたところに、神風特攻の最も醜悪な部分があるものと思われる。〔略〕(しかし)想像を絶する精神的苦痛と動揺を乗り越えて目標に達した人間が、われわれの中にいたのである。これは当時の指導者の愚劣と腐敗とはなんの関係もないことである。今日では全く消滅してしまった強い意志が、あの荒廃の中から生まれる余地があったことが、われわれの希望でなければならない。
(『レイテ戦記』大岡昇平)
サイパン守備隊の日本軍最高指揮官は海軍の南雲中将だった。残存将兵に最後の玉砕突撃を命じて、自決した。「今や止まるも死。進も死。其の時を得て帝国男児として本懐なり。
戦陣訓に曰く『生きて虜囚の辱めをうけず』従容として悠久の大義に生きるを悦びとすべし。
明後7日(1944年7月7日)米鬼を索めて攻撃に前進し、一人克く十人を斃し、以て全員玉砕せんとす」と命じた。
世論に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ(「軍人勅諭」)