沖縄復帰50年     関川宗英

沖縄復帰50年     関川宗英



 2022年5月15日は、沖縄復帰50年に当たる。

 復帰50周年記念式典で、岸田総理は「世界の平和と沖縄のさらなる発展を祈念」すると述べたが、沖縄には今も、日本の米軍基地の70%以上が集中している。

 太平洋戦争では捨て石とされ、戦後はアメリカに占領されてきた。

 1972年日本復帰を果たすが、沖縄はいつもないがしろにされてきた。



 

 1969年11月、佐藤栄作ニクソンの日米首脳会談。佐藤は、「核抜き・本土並み」での沖縄返還に合意したと宣言した。

「1972年中に沖縄が核兵器の全く存在しない形で我が国に返還され、事前協議につきましても、何ら特別の例外をもうけないということであります」

 と佐藤栄作は言ったが、緊急時にはアメリカは沖縄に核を持ち込めるという「密約」が、正式な取り決めとは別に交わされていた。





  沖縄返還の際、交わされた密約は大きく言って二つある。核に関するものと、お金に関するものの二つだ。

 沖縄密約が最初に明るみになったのは、お金にまつわるものだった。

 1972(昭和47)年3月27日の沖縄返還をめぐる国会審議でそれは明らかとなる。社会党横路孝弘楢崎弥之助が、外務省極秘電文のコピーを手に、公式の発表ではアメリカが支払うことになっていた地権者に対する土地原状回復費400万ドルを、日本政府が肩代わりしてアメリカに支払ったと自民党を追及した。

 機密情報は、毎日新聞記者の西山太吉によって社会党議員にもたらされていた。外務省から情報を持ち出したのは、外務省の女性事務官だった。

 密約問題は大きな反響を呼んだが、国会の質疑から一週間後の4月4日、西山と女性事務官は外務省の機密文書を漏らしたとして、国家公務員法守秘義務)違反の疑いで逮捕、起訴された。

 起訴されると、西山は情報を得るために、外務省女性事務官に近づき、酒を飲ませ、無理やり男女関係を結んだうえで機密情報を盗んだということが明るみになる。

 西山と外務省の女性事務官を公務員法違反で起訴した検察が、起訴状の中で「密かに情を通じ」という言葉を使って、西山と女性事務官の間の男女関係にことさらに焦点を当てた。西山も女性事務官も既婚者だったが、メディアでは情報の入手手段に対する一斉攻撃が始まったわけだ。

 倫理感に欠けた取材方法に対する非難が、女性週刊誌やワイドショーで連日展開されるようになった。



 西山は「報道の自由」を主張し、毎日新聞は大規模な「知る権利キャンペーン」を展開したが、低俗な男女関係の批判にかき消されていく。

 国家の体制維持に影響を及ぼす密約問題を、スキャンダラスな問題にすり替える、この巧妙な世論操作は、当時の東京地検だった佐藤道夫によるものだったという。

  

この事件を当時担当した東京地検の佐藤道夫氏がその後、参院議員に転じてテレビ討論などで、外交密約の存在が問題になると政治混乱が避けられないこと、言論弾圧と騒いでいる知識層やメディアの論調をかわす必要がある、との判断から突如、女性と情を通じて機密の電信コピーを入手したのはけしからん、という形での世論誘導を思いついた、と述べている。

(経済ジャーナリスト牧野 義司 https://kenja.jp/1010_20180214/



 佐藤道夫の世論操作は成功した。沖縄の密約問題の追及は、立ち消えとなった。

 1972年5月15日、沖縄返還は実現された。

 西山と女性事務官は、1976年までに国家公務員法違反で有罪が確定する。