水俣病公式確認66年 進まぬ救済、続く裁判 実態なお分からず 2022/5/1

水俣病公式確認66年 進まぬ救済、続く裁判 実態なお分からず

2022/5/1 毎日新聞



 四大公害病の一つ、水俣病は、1956年の公式確認から、5月1日で66年となる。今なお多くの人が被害に苦しみ、1500人を超える住民が「ノーモア・ミナマタ」を掲げて熊本、東京、大阪の3地裁で救済を求める訴訟を続けている。長期化する訴訟の中で、既に原告約170人が亡くなったという。「公害の原点」に出口はあるのか。原告の多くが住む熊本県の天草地方を訪ねた。

 「裁判で勝って『頑張ったかいがあったなあ』と一緒に言いたかった。もう少し生きてくれたら……」。水俣病の原因企業チッソ(現JNC)水俣工場がある熊本県水俣市から八代海を挟んで北西約20キロの対岸にある同県天草市。2021年3月に妻を80歳で亡くした三宅市夫さん(87)がつぶやいた。


 三宅さんは、水俣病の被害者に多くみられるこむら返りやめまいなどの症状に悩んできた。その様子を見た妻から「あなたは水俣病よ」と言われたことがきっかけとなって、夫婦で裁判に加わった。妻もめまいなどの症状があり、亡くなる直前まで「水俣病と認められずに悔しい」と話していたという。

 三宅さんらが原告となった「ノーモア・ミナマタ」第2次訴訟は13年6月、最初の原告48人が国や熊本県チッソに1人あたり450万円の損害賠償を求めて熊本地裁で始まった。現在までに熊本地裁では13陣まで追加提訴が進み、他にも水俣近辺から関東や関西に移り住んだ原告による東京、大阪の両地裁での提訴が続いた。


 原告数は熊本地裁1374人、東京地裁86人、大阪地裁130人の計1590人(3月末現在)に上る。熊本地裁の原告の平均年齢は73歳。提訴から8年余りを経て、原告のうち179人が既に亡くなっているという。


和解で決着した1次訴訟
 裁判の背景をたどると、約10年前に和解に至った「ノーモア・ミナマタ」第1次訴訟に行き着く。さらにその発端は、水俣から関西に移り住んだ別の原告らによる04年の水俣病関西訴訟の最高裁判決にさかのぼる。


 最高裁判決当時、被害者の認定基準を巡って国は、水俣病の代表的な症状とされる手足のしびれなど感覚障害のほか、骨や筋肉に異常はないのに真っすぐ歩けないといった運動失調など複数の症状の組み合わせを求めていた。水俣病は工場から排出されたメチル水銀による健康被害だが「感覚障害だけでは糖尿病など他の病気と区別がつかない」というのが理由だ。ところが最高裁は、家族の認定状況などを踏まえて感覚障害のみのケースもメチル水銀中毒と認めた。

 判決は事実上の認定基準緩和と受け止められ、新たな認定申請が相次いだ。これら当時の住民が起こしたのがノーモア・ミナマタ第1次訴訟だ。「すべての水俣病被害者の救済」を掲げ、05年10月に第1陣が熊本地裁に提訴。訴訟は東京、大阪の両地裁へと拡大した。


 国が選んだ解決策が、水俣病被害者救済特別措置法(特措法)の制定だった。認定基準の見直しには手をつけないまま「基準を満たさないものの救済を必要とする方々」を対象に、1人210万円の一時金や医療費などを支給するものだ。認定された場合の補償(1人1600万~1800万円の一時金など)より低額だが、具体的な認定の見通しが立たない多くの被害者が救済に手を挙げた。

 特措法成立に向けた政治的な救済への動きと、訴訟での和解に向けた模索は並行して進んだ。特措法は09年7月に施行され、約3万人に一時金などが支払われた。11年3月には熊本など3地裁で裁判原告2992人の和解が成立。特措法と同じ内容の一時金などが支給された。

「救済地域」の課題が再燃
 「水俣病なんて自分と関係ないと思っていた」。第2次訴訟の原告で、天草市に住む西田雅之さん(80)は言う。同じ原告だった妻を約5年前に亡くした。西田さん自身も20年ほど前からこむら返りなどの症状に気づいていたが、水俣病はテレビなどで見る発生当初の重症患者のイメージしかなかった。「念のため」と思って受けた診察で水俣病だと言われて驚いたという。


 「水俣病問題の最終解決」をうたった特措法は、当初から3年以内をめどに救済を完了するとしていた。国は「あたう限り(可能な限り)の救済」を掲げ、民主党政権下の細野豪志環境相(当時)が水俣市内のスーパーの前に立って申請を呼び掛けたほか、メディアを通じて制度の周知を図った。それでも12年7月末に申請の受け付けは締め切られた。

 当時から課題として指摘されたのが救済エリアの問題だ。国は水俣市など過去に認定患者が出た地点を参考に熊本、鹿児島両県の9市町の全部または一部を「救済対象地域」に指定した。地域外からの申請も可能だが、水銀で汚染された魚を多く食べたことを申請者自身が証明しなくてはならなかった。

 八代海を挟んで水俣の対岸となる天草は、大半が救済地域から外れた。救済に向けた手続きが始まると、地域外のエリアでは医療機関で症状確認を受ける前に救済から漏れる住民が相次ぎ、「魚は海の中を泳ぎ回るのに、なぜ地域で線を引くのか」という批判が再燃した。水俣市などと違い、天草市の住民の間では水俣病は必ずしも身近なものとはいえず、救済終了後になって「年を取って症状に気づいた」「差別が怖くて手を挙げられなかった」といった住民も続出した。西田さんをはじめ、こうした住民が原告となったのが現在のノーモア・ミナマタ第2次訴訟だ。

被害実態なお不明
 水俣病の発生は56年に公式に確認されたが、チッソは58年に水銀を含んだ排水路を当初の水俣湾から水俣川河口に変更し、汚染が八代海一帯に拡大したとされる。ところが被害が具体的にどこまで、どう広がったか、その実態は今も不明なままだ。被害拡大を防止しなかった国と熊本県の行政責任も認めた最高裁判決を受け、熊本県八代海沿岸47万人の住民調査を国に働きかけたが、実現には至らなかった。天草をはじめ八代海沿岸に何人の患者がいるかは、今も分かっていない。


 「あと何年で終わるかなあ。まだかなあ。夫はそう言って判決を楽しみにしていた」。天草諸島の北部、熊本県上天草市。約4年前に亡くなった夫の裁判を引き継いだ女性(68)が言葉少なに語った。女性自身は特措法で一時金などを得たが、夫は救済対象から外れた。夫婦が住んでいるのは救済対象地域の外だ。なぜ救済から外れたのか、夫は最後まで納得していなかったという。「判決で勝ってよかったねえ。夫にそう報告したいんです」。女性の願いは宙に浮いたまま、時を経ても解決を見ない水俣病。原告や遺族に残された時間は多くない。【西貴晴】

水俣病
 チッソ水俣工場の排水に含まれたメチル水銀が魚介類に蓄積し、それを食べた人に発症した中毒性の神経疾患。1956年5月1日、工場の付属病院長が患者発生を水俣保健所に報告したことで公式確認された。政府は68年9月26日に公害病認定。65年5月には新潟県阿賀野川流域でも被害が確認された。