「賢治の憂い 賢治の夢」     関川宗英

「賢治の憂い 賢治の夢」     関川宗英




うるはしく猫晴石はひかれどもひとのうれひはせんとすべもなし   歌稿〔A〕 273   

今日よりぞ分析はじまる瓦斯の火のしづかに青くこゝろまぎれる   歌稿〔A〕 282

 

 東北の農業学校の実験室で、不安な今を嘆き、まだ見ぬ未来に思いを馳せていた宮沢賢治。この歌を賢治がつくったのは、大正5年(1916年)、もう百年も前のことだ。さらに同じ年、次のような歌も賢治は詠んでいる。

 

あをあをと悩める室にたゞひとり加里のほのほの白み燃えたる    歌稿〔A〕 325




「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」

「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。

「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。

「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。

(『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治



「みんなの幸」を願い、しかし「ほんとうのさいわい」は「わからない」と書く賢治。

 

賢治が願い、追い求めたもの、その熱い思いにふるえた夜

しかし何一つ変えられない現実、自分への失意

 

 賢治の懊悩の中から紡ぎだされた言葉は、この世のどこかにかけがえのないものがあるようなそんな心もちにさせる。人として尊いものを大切にする、美しい地平がきっとどこかにある、そんな予感をさせる。賢治の憂いの言葉が、百年後の私たちの心に、温かな火を灯すようだ。