ウクライナ危機の本質、ブタペスト覚書 20220206

ウクライナ危機の本質、ブタペスト覚書

2022/2/6

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在米14年&起業家兼大学教授・大澤裕の『なぜか日本で報道されない海外の怖い報道』ポイント解説 大澤 裕
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ウクライナ危機の本質、ブタペスト覚書
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ソ連崩壊の時、アメリカをはじめとする西側諸国がもっとも恐れたのは、混乱の中でソ連の核が拡散して、テロリストの手に渡ることだったはずです。

ソ連側にも同じ懸念はあったはずで、当時、米国と旧ソ連の間でどのような合意があり、どういった形でソ連全土の核が処理されたのかという事にずっと興味がありました。

公表された合意もあれば、密約もあったでしょう。ついに行方が分からなくなった核もあったかもしれません。

今回のウクライナ危機に際して、関連する記事がありましたのでご紹介します。

以下、ニューヨークタイムズ、2月5日記事です。

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冷戦終結時、地球上で第3位の核保有国は、イギリスでもフランスでも中国でもなかった。ウクライナである。

ソビエト連邦の崩壊は、1991年12月に頂点に達し、新たに独立したウクライナは、ソ連が自国に配備した約5000の核兵器を受け継ぐことになった。

ウクライナはその時、ロシアや米国などからの安全保障と引き換えに、数千個の原子兵器を引き渡す重大な決断をした。

クライナは核軍縮と引き換えに、鉄壁の安全保障を要求したのである。

1994年、その誓約は具体化された。 ブダペスト覚書 と呼ばれる協定は ウクライナに対して武力や脅威を行使せず、その主権と既存の国境を尊重することを約束したものであった。

その覚書に従い1996年に最後の核兵器ウクライナからロシアに移送された。

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解説

ここでいう 「ブダペスト覚書」 とは、1994年12月に結ばれた政治協定です。ハンガリーブダペストで開催された欧州安全保障協力機構(OSCE)会議で署名されました。

ウクライナ(およびカザフスタンベラルーシ)が「核拡散防止条約」に加盟した事に関連して、協定署名国であるアメリカ、ロシア、イギリスがこの3国に安全保障を提供する という内容でした。

記事にあるように1996年までに、ウクライナ戦略核弾頭をすべてロシアに移管しました。また米国からICBMICBMサイロ、重爆撃機巡航ミサイルの解体のための大規模な支援を受けました。

その後、ウクライナのヤヌコビッチ大統領は2010年の核セキュリティサミットですべての高濃度ウランを撤去すると発表しました。 

そして 2012年3月すべての高濃縮ウランがロシアに移送された ことを発表しました。

ウクライナは誠実にブタベスト覚書と核拡散防止条約を守ったのです。

ロシアのプーチン大統領ウクライナクリミア半島への侵攻を命令したのは2014年2月です 。

高濃縮ウランがロシアに輸送されて、ウクライナ核兵器を作れなくなってから侵攻したと言ってもよいでしょう。

そして今、再びウクライナは10万人以上のロシア軍に囲まれています。