グローバル関係学で世界を見る 田原牧・論説委員が聞く

グローバル関係学で世界を見る 田原牧・論説委員が聞く

2022/1/25 東京新聞

 

 二十一世紀に入り、大国の利害や戦略だけでは解けない問題が地球規模で広がっています。コロナ禍もその一つでしょう。欧米中心の世界観や国単位の視点から離れ、地球大で名もない人びとの動きや交錯に問題の根を探る。そうした「グローバル関係学」が注目されています。提唱者の一人である千葉大酒井啓子教授に聞きました。
オリエンタリズム> パレスチナ人の批評家、故エドワード・サイードがとなえた西洋人が東洋に抱く身勝手なイメージ。植民地主義を背景として、西洋の優位性を前提に、東洋の特徴を非合理性や受動性などに求める偏った見方を指す。

◆国家主体もはや古い 千葉大教授 酒井啓子さん 

 田原 グローバル関係学とは耳慣れない言葉です。考えるきっかけは何だったのですか。
 酒井 契機は9・11(米中枢同時テロ)でした。どうして(犯行集団で国際テロ組織の)アルカイダが生まれ、なぜ米国に牙を向けたのか。それは従来の大国中心で、国家を主語にした視点では説明できません。
 私のフィールドの中東で、その後に起きた「アラブの春」やシリア難民の流出、「イスラム国」(IS)の台頭も同様です。
 看過できないのは、そうした現象が世界を揺り動かしたからです。例えば、アラブの春はすぐに米国のウォール街の占拠運動などに伝播(でんぱ)しました。
 グローバル関係学とは地球的規模の関係学ではなく、「グローバルな危機を把握、分析するための関係学」の略称です。
 理解のために従来の立ち位置を変えねば、と思いました。そこでは非国家の人間集団や人間以外も対象です。その多様な動きの交わりに注目することで、「見えなかった」事象の芽をつかみ、対策も考えられるのではないかと思ったのです。
 田原 なるほど。私も三十余年、中東を取材してきて、常に歯がゆさを感じてきました。
 いまだに国際ニュースというと、大国の動きが中心になる。9・11以前から中東ではアルカイダを含めてイスラム復興運動は大きなテーマでしたが、そうした原稿を書いても、なかなか紙面には掲載されなかった。
 9・11でようやくアルカイダは認知されますが、今度は「対テロ戦争」という米国の論理に沿った形でしか語られない。
 アルカイダのメンバーの多くは裕福な家庭出身で、高学歴者も少なくなかった。でも、欧米では「イスラム過激派誕生の原因は貧困」といった誤解と単純化が横行していました。
 酒井 そうした偏見と誤解の積み重ねがアフガニスタンでのタリバンの復活にもつながっています。つまり、米国の対テロ戦争は完全に失敗だった。
 9・11であれ、イラク戦争であれ、誰が欧米の敵か、その敵をどうやっつけられるのか、日本はいかに巻き込まれずに済むのか、そんな先進国の論理だけでは原因が見えません。途上国での人びとの動きが大切です。
 「ISとはこういう人間の集団だ」「シリア難民はこう生まれた」と固定化して考えることも間違いです。人びとが難民になった動機は一つではない。
 戦火に追われた人、元から留学したかった人など多様です。時間軸も欠かせない。アルカイダなら、一九七九年のソ連アフガニスタン侵攻から説き起こしてみる必要があります。

 田原 欧米以外の第三世界から世界を捉え直すべきだという考えは、アジアやアフリカで独立が相次いだ半世紀以上前からありました。9・11後には、その変形として「イスラムの論理から世界を見直そう」という主張が流行しました。グローバル関係学もその一環ですか。
 酒井 実はそれとも違うと考えています。中東で何か事件が起きるたび、私もメディアから「イスラムについて教えてください」なんて求められる。
 でも、イスラムといっても解釈は一つではない。質問の底には、先進国以外の世界を異端と見なし、単純化して本質なるものを求める姿勢がある。
 それは一種のオリエンタリズムでしょ。たしかに各地域に固有性はありますが、それも西洋との関係や社会構造の変容に伴って変わっていきます。
 先進国の国家を軸に世界を語るのをやめ、先進国以外の地域を「異端」として固定化して考えない。トータルに人びとの動きや社会の空気を追って、それらが交錯したときに起きる事象を予測する。グローバル関係学は、地道に地域研究をしてきた人びとの成果を基礎とした学問といえるかもしれません。
 田原 社会を単純化して見るべきではないという考えは同感です。複雑さこそ、豊かさの源泉だとも思います。でも、諸関係のごった煮が過ぎると、分析にならないのでは。そのうち「真実なんてない」となって、身勝手な歴史解釈が横行する。そうした「ポストトゥルース」に陥る危険はありませんか。
 酒井 その危険は関係の複雑さを示す事実の積み重ねと、集めた事実を恣意(しい)的に選別しないことで防げると思います。
 ポストトゥルースの代表格である米国のトランプ前大統領が抱く世界観は単純です。逆にグローバル関係学は「世界は単純ではなく、変幻自在である」ことを認識することが狙いです。
 例えば、イラク戦争で米兵たちはサダムという独裁者を倒したんだから、イラクの市民たちが花束を持って迎えてくれると信じていた。解放軍です。
 ところが現実は逆だった。その前の湾岸戦争の末期に起きた「反サダム蜂起」を米国が見捨てたという史実をイラク人たちは覚えていたからです。
 両者の関係は相思相愛ではなかった。米国人からみれば、歓迎しなかったイラク人は恩知らず。だが、イラク人には歴史的な対米不信があった。そうした複雑な関係を解明することがこの学問の目的なのです。
 田原 内外で「分断」が深刻な時代です。そうした現在、グローバル関係学の提唱者として注目している現象は何ですか。
 酒井 バーチャル空間の研究は欠かせないでしょうね。コロナ禍で国境が閉ざされ、自由に移動しにくい。それが逆にネットの活性化を促しています。
 私は最近、昼にイラク人とチャットし、夜は米国の学会にネットで参加している。自分が日本にいる実感がありません。
 アラブの民衆運動でも、リアルタイムでレバノンの活動家とイラクの活動家が意見交換している。関係は対面に比べれば浅いけど、広がりは速い。「アラブの春」のロゴが米国のBLM(黒人差別への抗議運動)と相似しているなど、こうした共振構造もある。いずれも国家が主体ではない点がミソです。
 田原 そのコロナ禍ですが、いまも世界を覆っています。これも地球規模の関係の交錯がもたらした「グローバルな危機」の一つと考えられますね。
 酒井 その通りです。いろんなところでウイルスを拾った人びとが一カ所に集まって、感染を爆発させる。まさに関係性の産物で、それは人種や民族の特性なんかでは説明できない。
 当初、トランプ氏は「武漢ウイルス」と呼んで、国家レベルの問題に矮小(わいしょう)化しようとしました。これは注目に値します。
 地球規模の人の動きや関係性がもたらしたコロナ禍に、各国は国家の壁を厚くして対応しています。二十一世紀的な関係中心の世界と、二十世紀的な国家主体の世界の相克を見る思いがします。でも、国家主体ではもはや対応できないのです。
<さかい・けいこ> 1959年生まれ。東京大教養学科卒。アジア経済研究所研究員、東京外国語大教授などを経て、千葉大教授(イラク地域研究、国際関係論)。著書に『イラクアメリカ』『イラクは食べる』(岩波新書)、『9・11後の現代史』(講談社現代新書)など。共同研究の『グローバル関係学』(全7巻)は岩波書店から刊行されている。