水俣病認定訴訟が結審 来年3月判決 熊本地裁

水俣病認定訴訟が結審 来年3月判決 熊本地裁
2021年11月27日 朝日新聞

 

 水俣病被害者互助会の男女7人が熊本、鹿児島両県に水俣病の患者認定を求めた訴訟が26日、熊本地裁(佐藤道恵裁判長)で結審した。母親のおなかの中でメチル水銀の被害を受けた胎児性水俣病患者と同世代の原告たちが水俣病か否かが主な争点になっている。判決は来年3月30日に言い渡される。

 原告は両県にすむ61~68歳の男女で、水俣病が公式確認された1956(昭和31)年前後に熊本県水俣・芦北地域で生まれた。原因企業チッソの工場廃水に含まれたメチル水銀による汚染が深刻化し、重症患者が相次いで確認された時期に胎児・小児だった。患者認定を申請したが認められておらず、2015年10月に提訴した。

 原告側は、7人は胎児・小児期にメチル水銀の被害を受け、水俣病の典型症状である感覚障害があると主張。被告側はアルコール性末梢(まっしょう)神経障害や糖尿病性神経障害など他疾患の可能性があり、水俣病ではないと反論している。

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 いまだ認められない被害を訴える原告の7人は26日の弁論で意見陳述し、一人ひとりが思いの丈を裁判官に伝えた。

 芦北町出身の女性(61)=鹿児島県出水市=は、水俣病患者だった父親(故人)の日記と回顧録をまとめた本を手に訴えた。「家族を守るための私の中の闘いです。勝っても負けても挑まなくてはならなかった闘いです」

 住民の多くがメチル水銀の被害を受けた漁村集落の漁師の家で育った。両親と祖父母は認定患者。自身も子どものころから頭痛やめまいなどに苦しんできた。小学校に入る前からけがをし、青あざができても気づかないことがあった。「自分のなかでは当たり前だった」。2005年に公害健康被害補償法(公健法)に基づく患者認定を申請したが16年に棄却され、不服審査請求も今年10月に棄却された。

 父が残した記録には、水俣病に翻弄(ほんろう)されながらも、不知火海とともにつつましく暮らした漁師の一生がつづられている。「この宝物を離さず、支援者の方々と最後まで闘います」

 倉本ユキ海さん(66)=水俣市=は、両親が残した日記の記述に触れた。「体の具合がひどく悪いらしい、気になって仕方ない」(1995年)「腕が痛いと云う。可哀想でならない」(2004年)。娘の体調悪化を案じる親心が刻まれていた。「父がどんな気持ちで娘の車いすをおしていたのか。そう思いながら日記を読むと涙が出てきます」。そして訴えた。「公平な目で水俣病事件の本当の出来事を見極めてほしい」

 緒方博文さん(64)=水俣市=の母親の実家は、多くの住民が水俣病に苦しんだ集落、湯堂にあった。「いまだに救済を求めて手を挙げられない多くの人がいる現実を見てください」と訴え、「真実」という言葉を繰り返した。「真実を見てください。いまだに水俣病は終わっていません。真実を見てください」

 原告団長の佐藤英樹さん(66)=同=は、重症患者が多く確認された漁村集落の茂道で生まれ育った。祖母と両親が認定患者で、祖父も激しいけいれんに苦しんで亡くなった。幼いころから苦しんできた自身の症状を「手根管症候群」などと主張する被告側に、「水俣病の被害者に対しての侮辱であり、差別だ」と憤りをあらわにした。

 被告側には、心から被害者にわびてほしい。「私たちは本当の被害者であり、水俣病患者です。ニセ患者ではありません」(奥正光)