宮子 あずさ
2021.10.26 FBよりhttps://www.facebook.com/profile.php?id=100022604281561
2021年10月25日(月)の東京新聞、「本音のコラム」は、選択的夫婦別姓と同性婚の問題を軸に、多様性が認められることに大切さについて書きました。
実はこれ、もろに衆議院選挙の争点。選挙期間中は特定の候補に肩入れするような内容は書きにくいのですが、東京新聞は10月22日朝刊掲載の社説で、選択的夫婦別姓を取り上げ、こう最後を結びました。
「社会のあり方を決めるのは、私たち有権者自身だ。今や多数となった選択的夫婦別姓の実現を望む声が政治に届くよう、政党や候補者を選び、託したい」。
これを読み、私も自重せず書きたいことを書こう。そう決めたのです。
<<社説>衆院選 選択的夫婦別姓 実現望む声を託したい,東京新聞WEB,2021/10/22>https://www.tokyo-np.co.jp/article/138217
私にとって、衆議院選挙における一番の争点は、多様な生き方への寛容性です。具体的には、選択的夫婦別姓と同性婚。いずれも、制度が変更されても、別姓や同性愛が強制されるわけではありません。これまで通りでいい人はそのままで良く、新たに無理せず生きられる人が増えるだけなのです。
にもかかわらず、自民党だけが、いずれにも反対。選択的夫婦別姓に至っては、同姓の強制を不要と考える人は少数派になりつつあるにも関わらず、「一般の理解が得られない」といい、結論を先延ばしにしようとしています。
私は、自分が不利益を被らないにもかかわらず目くじら立てて反対する人の気がしれません。恐らくそういう人たちは、誰かを不幸にしてでも自分が好む家父長的な家族のあり方を守りたい人なのでしょう。それはあまりにも、人権意識に欠く行動ではないでしょうか。
<選択的夫婦別姓、性的少数者の差別解消…政党で違い鮮明に<公約点検>,東京新聞WEB,2021/10/22>https://www.tokyo-np.co.jp/article/138093
そして、世界を見渡せば、男女平等の主張や同性愛への無理解によって命を脅かされる人もいるのです。私がそのことを痛感したのは、東京五輪飛び込みの金メダリストトーマス・デーリー選手のインタビュー記事を読んだことでした。同性愛を公表している彼は、東京五輪参加国の中に同性愛者を死刑にする十か国が含まれていた事実を指摘。以下のように語っています。
「これ(東京オリンピックはLGBTQ+であることを公表しているアスリートの数が過去最多だったこと)は大きな進歩だ。それでもオリンピックに参加することを許された国の中には、同性愛者を死刑にする国がまだ10か国ある。こういう問題について話すことはそれはそれでいいことだ。でも光を当てるだけでなく、変化を生み出そうとすることが非常に重要だと思う」
「2024年のパリオリンピックの前に、LGBTを犯罪と扱い死刑で罰する国がオリンピックに出場できないようにすることを私の使命にしたい。本当の自分でいることができないこの10か国はオリンピックに出場したり開催したりすることを絶対に許されるべきではない」
「例えばカタールで開催されるワールドカップではLGBTと女性に対して極端な規則を課している。基本的人権を侵害する国がスポーツイベントを開催することは許されるべきではないと私は思う。それを変えることがこれからの私の使命だ」
<飛び込みのトーマス・デーリー選手、「同性愛者を死刑で罰する国はオリンピック出場を許されるべきではない」,ELLE,2021/10/7>https://www.elle.com/.../tom-daley-attitude-awards-211008/
私はこの記事を読んで、多様性と人権尊重はセットであり、その人の存在が許されるか否かが問われる、切実な問題なのだと再認識しました。多様性の問題は、経済などに比べ、選挙向けに打ち出す政策としては緊急性がない、との意見も耳にします。また、アイデンティティの問題は分断を深めると懸念する向きもあり、私もその意見に与する部分がありました。
しかし私がそのように感じるのは、身の安全が保証されているからではないでしょうか。同性愛者が生きることさえ許されない国が世界には存在する以上、多様性を認めるか否かは、まさに人権問題にほかなりません。
そのように考える時、多様性の問題はまさに、政治のあり方を問う。どまん中の争点として浮かび上がってきます。現政権の不寛容は、人を大切にしないありようとまさにセット。改めて、政権交代の必要性を痛感しています。