オードリー・タン…影響を受けた柄谷行人の「交換モデルX」

オードリー・タン…影響を受けた柄谷行人の「交換モデルX」

 

オードリー・タン…影響を受けた柄谷行人の「交換モデルX」 | 富裕層向け資産防衛メディア | 幻冬舎ゴールドオンライン (gentosha-go.com)

 

影響を受けた日本人、柄谷行人の「交換モデルX」

柄谷行人の「交換モデルX」から受けた大きな影響

 

私が現在興味を持っていることの一つは、日本の哲学者であり文芸評論家でもある柄谷行人さんが唱えている「交換モデルX」をデジタルの力で実現できないだろうかということです。

 

私は柄谷さんの思想に強い影響を受けています。たとえば、『トランスクリティーク カントとマルクス』は、カントの視点からマルクスを、マルクスの視点からカントを見たものですが、私に大きな影響を与えた作品です。

 

彼は多くの考えを持っていて、とくに『トランスクリティーク』に続いて刊行された『世界史の構造』などに出てくる「交換モデルX」という概念は、間違いなく私に大きな影響を与えています。

 

少し説明すると、柄谷さんが言っている交換モデルXとは、家庭のような無償の関係の交換モデルA、上司と部下のような上下関係のB、政府内部あるいは不特定多数の人たちが対価で交換する市場のような関係のC、これら三種類に属さない四つ目の交換モデルを指しています。これは開放的な方法で、不特定多数の人々を対象としつつ、「家族のように何か手伝いを必要とすれば、見返りを求めずに助ける」という交換モデルです。

 

 

2014年と2015年に台湾でイベントがあり、柄谷さんとお会いする機会がありました。話をしていて、私たちの視点が似ていたことがとてもうれしかったのですが、柄谷さんが彼自身の角度からこれまでの哲学者について整理してくれたのは、私にはとても参考になりました。

 

柄谷さんの交換モデルに関する基本的な考え方というのは、次のようなものです。

 

「交換」ということを考えるとき、二つの方向性があります。一つは知り合いと交換するか、見知らぬ人と交換するかという方向性であり、もう一つは交換の中で見返りの関係になるかどうかという方向性です。見返りの関係とは、相手から何かもらうことで自分も相手に与えるような等価交換の関係です。見返りの関係にならない交換には、無償で交換するとか、自由に分け合うというパターンがあります。すると、次のように二つの方向性で四種類の交換モデルが生まれることになります。

 

Ⓐ知り合いと見返りの関係になって交換するパターン
Ⓑ知り合いと見返りの関係にならずに交換するパターン
Ⓒ見知らぬ人と見返りの関係になって交換するパターン
Ⓓ見知らぬ人と見返りの関係にならずに交換するパターン

 

たとえば、「知り合いとしか交換しないけれど、自由に交換する」(前記のⒷ)というのは、家族です。家族であれば間違いなくお互いを知っていますし、助けが必要となれば手を差し伸べるでしょう。このパターンは、「助けてあげるから、あとで見返りを求める」という関係ではありません。その点でクローズドな交換ですが、対価のない交換です。

 

同じように「クローズドなモデルだけれど、見返りのある」交換もあります(前記のⒶ)。それは国家や政府のようなものを考えればいいでしょう。納税をすることによって国家や政府は私たちにインフラやサービスなどを交換で提供します。これは従来までの国家の概念で、この交換システムに参加できるのは、国民あるいは市民という知り合いに限られることになります。

 

次に「不特定の会ったこともない人と見返りを伴って交換する」パターン(前記のⒸ)ですが、これは市場を考えるとわかりやすいでしょう。あなたがもし何かを売ろうと店を開くと、相手が国民だろうと家族だろうと、お金を持って買いに来た場合、商品を売るでしょう。

 

この場合、ある種のオープンな交換になります。

 

そこで柄谷さんは問いかけます。不特定の人に対価を求めるわけではなく、無償で分け与えたいとすると、これはどんなモデルだろうか。これは「オープンで、かつ無償の交換を行う」というパターンですが、このモデルには名前が存在しません。柄谷さんはこれをXと名づけました。これが交換のXモデルです(前記のⒹ)。

 

新しい分散型交換モデルは交換モデルXの実現か

私は柄谷さんに、「イーサリアムビットコインのように世界中の不特定多数の人々が組織化し、そのプラットフォーム上で交換が行われる暗号通貨などのような新しい分散型交換モデルは、交換モデルXの実現と捉えてよいのか」と尋ねました。これについて柄谷さんは、地域通貨や自分が考えている通貨発行のシステムなどを交えて答えてくださいました。

 

つまり、こうした分散型の方向に進むことは決して悪いことではないけれど、相互信頼がない知らない人同士の交換システムの場合、基本的なシステムについてどのように信頼を得ていくかが重要な問題の一つになるというのです。

 

交換システムに参加する人たちがお互いに顔見知りで、少なくとも誰かの推薦で参加するのであれば、先ほど述べた「家族」という考え方を拡大すればいいのですが、知らない人との交換では「どのようにして信頼を担保するか」を解決しなければならないのです。

 

オードリー・タン氏は「柄谷行人さんの思想に強い影響を受けています」と語る。
オードリー・タン氏は「柄谷行人さんの思想に強い影響を受けています」と語る。

市場であれば、これは問題になりません。「交換が自由である」ということだけで、対等性も等価性も必要ないからです。

 

私が問題にしているのは、知識の交換のようなケースです。私が知識を誰かとシェアしたからといって、私の知識が失われるわけではありません。これは事実上、独占権のない無償の交換モデルですが、この場合、「私の知識をシェアした人が、その知識を用いて私の望まないことを行わない」という信頼関係が必要です。

 

その信頼関係をどのようにして構築するか。それはまだ完全には解決していない問題です。だからこそ、「この問題を先に解決してからでないとこの道を歩み続けることはできない」と柄谷さんは言うのです。

 

デジタル空間とは「未来のあらゆる可能性を考えるための実験場所」

 

実際のところ、こうした「無償」という概念は、仏教あるいは他の宗教などでも謳われています。ほかにも、これと似たような概念を見つけようと思えば見つけられるでしょう。無償であるというのは、ある種の「信仰」と関係しているとも言えるからです。

 

しかし、柄谷さんは「無償」という概念を決して一種の宗教や信仰とするのではなく、純粋に交換モデルとして分析しています。つまり、「無償と交換の関係はどのようなものなのか」ということですが、たとえばそれは、私が何もかも無償であらゆる人に提供するのを見たあなたが、その行為に同意してくれて、あなたもまた同様の行為をするようなことです。つまり、完全に自発的な行為です。

 

このような人間性に基づいた信頼関係は成立するでしょうか。もちろん、それは可能だと思います。見ず知らずの人であっても、何度か話をしているうちにだんだん打ち解けてくるというのは、とても自然なことでしょう。

 

交換モデルXの概念は、「みんなとシェアする過程で、あらゆる人とお互いの信頼関係を築いていく」というものです。一般的には「まず相互の信頼を得てからシェアをする」という順番ですから、ベクトルは正反対です。

 

たとえば、百科事典の制作は、まず編集されてから出版されるという順番でしたが、ウィキペディアは先に内容を公開し、その内容に意見のある人があとから加筆修正などの編集を加えていくというスタイルです。これまでのやり方とはベクトルが逆転しているわけです。

 

このベクトルの逆転をどう分析するか。交換モデルXという観点から分析すると、それも一つのやり方であるということです。ウィキペディアでは、「こうすればもっと良い」とか「どうすればより応用が利く」というようなことは言いません。そんな言い方は「市場は自由でなければいけない」と言っているのと同じだからです。

 

資源の争奪戦がなくなる可能性がある?

柄谷さんがこれまでの社会について言っているのは、たとえば市場であれば、一般的には「自由」という価値が必要であるということでした。ただ、この近代資本主義社会では、自由の理念と平等の理念は両立しませんし、家族のような自由・平等・友愛という価値については、まだ名前がつけられていません。だからこその〝X〞なのです。

 

Xは自由・平等・友愛を補完するものかもしれませんが、だからといって自由・平等・友愛の重要性を否定するわけではなく、新しい可能性であると言っているわけです。

 

柄谷さんが使っている哲学的な言語は、私が世界を理解するために最も頻繁に使う言語です。彼が引用しているカントやマルクスなど関連する哲学者の書籍は、私も若い頃にほとんど読みましたし、彼がよく引用する後期のフロイトにも強く興味を抱いています。柄谷さんの使う概念は、私にとっては非常に身近なもので、母語のような感じさえします。

 

私は、『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』の著者グレン・ワイル氏とともに、ニューヨークでRadicalxChange財団を設立しました。このワイル氏の思想も柄谷さんと同じ思想の流れにあるといえます。彼はもともと経済学者でしたが、経済学とは「既存の資源をどう分配するか」ではなく、「人々が協力してより多くの価値を生み出すためにはどうすればいいか」を考えることであると言っています。これは柄谷さんと同じ考え方です。

 

資源に限りがあると考えるならば、それを奪い合うことになり、誰かがより多く手に入れ、誰かがより少ないという問題にしかなりません。しかし、人々が協力することで、より多くの価値を生み出す方法をワイル氏は模索しています。柄谷さんの交換モデルXは「必要なときにはより多くの価値を生み出すことができる」という意味で、ワイル氏と同じことを主張しているのです。

 

ここで述べた内容も、広い意味ではデジタルに関わるものです。私は柄谷さんの交換モデルXは、デジタルを使えば実現できるのではないかと考えています。RadicalxChangeなどのアイデアは、おそらくイーサリアムのようなブロックチェーンコミュニティで最初に使われることになるでしょう。

 

デジタル上で交換モデルXが実現することがわかれば、それを現実の政治面に応用することができるかもしれません。それが実現すれば、資源をめぐる争いもなくなる可能性があります。その先には、「公共の利益」というものを核として、資本主義に縛られない新しい民主主義が誕生するかもしれません。デジタル空間とは、そのような「未来のあらゆる可能性を考えるための実験場所」ではないかと私は思っています。

 

 

オードリー・タン
台湾デジタル担当政務委員(閣僚)