三宅雪子氏死去、男性政治家に利用される「ガールズ議員」の悲哀

 

三宅雪子氏死去、男性政治家に利用される「ガールズ議員」の悲哀

https://diamond.jp/articles/-/226178

三宅雪子氏2009年、初登院した三宅雪子氏。「小沢ガールズ」と呼ばれた Photo:JIJI

2009年に「小沢ガールズ」として初当選した三宅雪子さんが亡くなった。当時、「ガールズ」議員たちは客寄せパンダとして選挙戦に利用されたが、当選後はロクな育成もされずほったらかしという扱いを受けていた。三宅さんの足跡を考えるにつけ、女性議員を選挙に利用するだけ利用して、当選後はきちんと活用できない政治システムの罪は重いと感じる。(ジャーナリスト 横田由美子

 

“客寄せパンダ”だが
当選後はほったらかし

 1月6日、旧民主党の国会議員だった三宅雪子さん(54)の遺体が、東京湾で発見されたというニュースがメディアを駆け巡った。

 報道などによると、三宅元議員は、12月30日に自宅を出たまま行方不明となり、家族が届けを出していたが、31日未明に芝浦ふ頭付近で、かばん、靴などが発見された。遺体が発見されたのは、1月2日。遺書らしきものが残されていたことから、入水自殺とみられている。

 しかし、元衆議院議員で「元祖・小沢ガールズ」として名をはせた女性議員の「自殺」を報じた記事は決して多いとはいえず、交流のあったジャーナリストの福場ひとみ氏が追悼記事を書いてはいたが、一般的にあまり話題にのぼっていなかった。あまりに寂しく、哀しい最期、というのが私の印象だった。

 2009年に比例復活ではあったが、初当選を飾った時の写真を見ると、44歳にはとても見えないかわいらしさとあどけなさが残っていた。こういう女性が、権某術数渦巻く政界で、どう生きたのだろうか。祖父は元官房長官石田博英、父は外交官と、政治家になる環境としては申し分なかったが、お嬢さん育ちで、良く言えば素直、悪く言えば駆け引きができない印象があった。

 その後の彼女の政治人生の変遷や外見が激変した様子などを追っていくと、精神的に相当厳しい状況にある中で、必死で生きてきたことが推察される。

 それがために、私は哀しくもなり、憤りも感じた。三宅議員の悲劇をつくりだしたのは、突き詰めてみれば政治の責任なのではないか。彼女の人生は、老獪で権力欲にかられた男性政治家によって翻弄され、つぶされたのではないかと思うからだ。

 私は、生前の三宅議員と親しかったわけではなく、当時、小沢ガールズと呼ばれた女性議員たちをむしろ積極的に批判した女性記者である。私の批判の内容は、いたってわかりやすいものだった。要するに、選挙を盛り上げるための人寄せパンダとして、政治家としての準備も心構えも、経験もないが、出馬を要請され、風に乗って当選する――といったものだ。

 実際、三宅さんは当時、各業界で増えていた、美貌もキャリアも家柄も併せ持つハイキャリア女子であり、2009年の政権交代選挙の「顔」のひとつになるのに十分なバックボーンを持っていた。しかし、その後、彼女を含む「風に乗って当選した女性議員」を育てる意識も余力も、当時の民主党にはなかった。

 

多くの「ガールズ」たちは
使い捨てられたようなもの

 結局、当時、小沢ガールズとしてもてはやされた女性議員たちは今、壊滅状態に等しい。再度の政権交代選挙での落選を機に、「政治家を辞める」と安心した表情で永田町を去って行った女性議員が少なくなかったことからも、「使い捨てられた」ようなものだと私は肌で感じた。

 しかしこれは、当時、選挙を取り仕切っていた小沢一郎民主党幹事長の責任問題という単純な話ではない。

 小泉政権時の郵政解散(2005年)で、「女性の美人刺客の候補者」が話題となり、次々と当選を果たしたことで、出来上がった選挙術ともいえる。小泉元首相が試したことを、小沢氏が完成形にしただけの話だ。

 有権者の政治意識という点では、明らかに「後進国」である日本では、こうした選挙術が大きな勝因になってしまう。政治力=数である以上、小泉元首相や小沢氏を単純に責める気にはなれない。

 現行の小選挙区制度は「51対49」――つまり、多数決で負けた方の「49」の声は切り捨てられてしまう制度である以上、仕方ない面もある。政治家は勝たないことには、仕事をさせてもらえないのだから。2005年の郵政選挙でも、多くの「小泉ガールズ」が誕生したが、今も残っているのは、片山さつき議員、佐藤ゆかり議員、猪口邦子議員ぐらいしか思い浮かばない。この3人はそれぞれ落選を経験し、再びはい上がってきているが、15年たった今でも存在感を示しているのは、押し出しが強すぎるほど強い片山議員ぐらいではないか。

 彼女たちも、先輩の男性議員からは何も教わっていないし、「将来ある政治家」として育てられてもいないだろう。恐らくは、自力で必死に、政界の泥水を飲みながら生き延びてきたのだと思う。その上の世代の女性議員が少なすぎたというのもあるかもしれない。いわば、自力型女性議員の先駆者ともいえる高市早苗総務相は、かつて私のインタビューでこんなことを言っていた。

「51対49の世界では、自分のライフワークとする分野を持つだけでなく、万人に受ける政策を語れなければいけない」

 だから皆、金太郎あめのように社会保障政策を連呼する。特に、有権者の中核をなすシニア層に受ける医療・介護分野は必須である。そして、見目麗しい女性議員が、日常生活でも、ネットの世界でも、常に憧れと憎しみを同時に抱く有権者からの監視やつきまといの危険性と裏腹なのは、高市議員の世代から変わらない。三宅元議員はストーカートラブルを抱えており、それが自殺の遠因になったともいわれている。

 

女性議員を過度に
引き立てた安倍首相

 翻って今、安倍政権では「女性の活躍」を華々しくうたい、金看板に掲げている。「安倍ガールズ」と呼ばれる女性議員は、丸川珠代議員を筆頭に何人もいるが、安倍首相は過去の「ガールズ」たちの悲惨な末路を知ってか知らずか、丸川をはじめ、稲田朋美議員、森まさこ議員などを育て、引き立てた。

 実際、彼女たちは、実力をつける機会を得ることができ、実績もそれなりに残したと思うが、逆に履かされた下駄が高すぎて、多くの男性議員の嫉妬を買った。安倍政権の終焉が見えてきた今、ポスト安倍での彼女たちの立ち位置は極めて微妙なところだ。稲田議員に関しては、一部で「派閥移動」の噂も立っている。

 
 ただ、小沢ガールズの面々、特に三宅議員がたどったほどの悲劇は起きないだろうとは思う。
 私は、三宅議員とは、議員会館内や国会で幾度か挨拶を交わしたことはあるが、特段交流があったわけではない。ただ、エレベーターで同乗した時などに感じたのは、議員在職当時、たびたび騒ぎを起こしてはニュースとなっていた割には、全くオーラがなくおとなしそうな女性に見えることだった。
 後に彼女は、自らがADHD適応障害を患っていることを明らかにしたが、「なるほど」と、妙に納得したものである。同じ小沢グループに属し、「小沢チルドレン」と呼ばれた議員でも、立ち回りのいい男性議員は、小沢氏の失脚後も永田町で生き残って、今も議員バッジを着けている。しかし彼女は、小沢元幹事長を信じ、落選後も再度立候補の道を模索し続け、挫折を重ねた。それでも政治的な発言を諦めることはなく、最後は「ルポライター」という肩書きで、政治の取材をしていた。
 
 今さらではあるが、三宅雪子という政治家の政策や信条をきちんと聞いてみたかったと残念に思う。三宅さんが落選後に歩いた道は、むしろ彼女を骨太の政治家に育てる過程だったはずだと思うからだ。そういう意味では、道半ばだった。

 安倍政権の女性議員登用策は、一部の女性議員に恩恵をもたらしただけにすぎず、いまだ女性議員は「お飾り的立場」から抜け出ていない。今後の揺り戻しが懸念されるとともに、女性議員を育成していくという気持ちを、政界も国民も持たなければいけない時がきている。三宅さんの死は、図らずも、私たちにそれを教えてくれたのではないか。合掌。