これは政治的事件である――立憲民主党の本多議員をめぐる調査報告書の問題について

 

これは政治的事件である――立憲民主党の本多議員をめぐる調査報告書の問題について

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 性犯罪刑法改正の議論の場で本多平直氏が行ったとされる不適切発言に関して、7月12日、立憲民主党ハラスメント防止対策委員会から調査報告書(以下、報告書)の提出がなされました。

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 この報告書からただちに明らかなのは、検証すべき事実関係が執筆者の持論と切り分けられておらず、肝心の事実関係に関しても正確な記述を欠いていることです。これは論理的に飛躍のある箇所が含まれる点にとどまらず、多数の主語の欠落や文章の破綻にまで至っており、本件の調査報告のずさんさがうかがわれると言わざるを得ません。

 報告書本文における個々の瑕疵については、先日発表された詳細な記事『立憲民主党は立憲主義と民主主義を放棄するのか、あるいは本多議員をめぐる報告書の致命的欠陥について 』があるためそちらに譲りますが、この記事では「筆者の主観的な評価と、対象者の言動が全く区別が付けられないまま著述が展開されていくのが、この文書全体を支配する特徴」であるとの総括がされています。

 こうした特徴は、報告書がワーキングチームでなされた一連の議論から部分的な出来事を意図的に取り上げて、筆者の思惑を染み込ませつつ再構成した文書であることを暗示するものです。これは例えば報告書の9ページにおける記述「本多議員の認知の歪みは是正されたか」にみられる「認知の歪み」という不当に当事者をおとしめる言葉からも浮き彫りであるといえるでしょう。ここに至ってこの報告書そのものがまさにハラスメントの性格を帯びた不公正なものであることがうかがわれ、このような文章を公党が発表したことには驚きを禁じえないと言うほかにありません。

 そもそも法律の修正に関する議論においては、修正に伴って生じうる正の効果と負の効果に対する慎重な検討が必要となるものです。時代とともに社会が変わる以上、かつて作られた法律が現実と整合しなくなり、修正を要する場合はしばしばおこります。こうしたとき、既存の法律に手を加えるにあたっては、それによって社会にどのような変化が起こりうるのかを事前に深く議論しておく必要があります。一つの修正は必ず正の効果と負の効果をもたらします。そこで一定の合意を作るために、そしてまた、負の面をケアし正の面をより確実なものとするために、多角的かつ精密な検討が不可欠となるわけです。

 この一連の問題で議題となった性犯罪刑法改正もまた例外ではありません。確かに性交同意年齢については、引き上げるのがよいという大勢はあったでしょう。しかし何歳を境界にするかといったことは程度問題になりますから、どこまで引き上げるのが妥当かという検討は必要です。引き上げに正の効果が大きくても、あまり大きく引き上げすぎると今度は負の面が強くなるでしょう。こうした一つの点においても、様々な事例を挙げて突き合わせることが必要です。

 また、行うべきことはそれだけではありません。法律に抜け穴は存在しないのか、未来の権力者が最も危険な解釈をしたらどうなるのか――。そうしたことも、さまざまな事例を取り上げて論じることが不可欠です。

 本多氏が展開していたのがこうした議論であったことは、ワーキングチームに参加していた議員の指摘から明らかです。例えば岡本あき子衆院議員は複数の事例を挙げたのち、「上記さまざまな事例を出しているなかに、本多さんの発言もあったかと記憶しています」との指摘を行っており、本多氏が多くの事例のなかで同意年齢の引き上げにともなう正の効果と負の効果を考えていることがうかがえます。こうした全体の議論の流れがあるのにもかかわらず、ただ一つの発言のみを切り出して非難するのは失当といえるでしょう。

 しかしながら報告書において行われているのは、まさにそういった行為にほかなりません。本来、一つの発言を問題だとするのであれば、その発言がどのような議論においてなされたのかということに調査を進め、問題となった発言を全体のなかに位置づけなければならなかったはずです。その作業が何も行われないまま、発言の意図も、あるいは発言の有無すらも明らかでない一部分の切り出しが行われるというのは公正さに欠けているというほかなく、処分を根拠づけているとは言い難いものがあります。またそのような状況にありながら処分が急がれたということは、党のガバナンスとして信頼を損なうものであると言わざるを得ません。

 本件は、政党が法律に手を加えようとするとき、その手続きはどのように行われるのが望ましいのかということについて、大きな疑問を投げかけるものです。

 真摯に議論を行い、ある場合には真っ向から意見を戦わせて、抜かりない法案を作らなければならないというのは当然のことです。できるだけ広い知見で様々なことを洗い出し、ある角度から見たときの正と負、別の角度から見たときの正と負の効果を精密に検討することが必要となるでしょう。正の面が多い場合は変えるべきですが、程度問題では大きく変えると負の面が強まるので、どこかで折り合いをつけようと合意を模索します。最終的には議論を尽くしたうえで、採決などをもって党内の合意を取り付けるわけです。こうしたことを行うためには、あらかじめ正と負の両面をあらゆる角度から検討し、党の各構成員が考えるためのさまざまな事例を用意しておく必要があるはずです。そして採決等を経て党の姿勢が決まった後は、その法案を掲げて選挙をたたかい、党に対する国民の支持を背景にして今度は国会の論戦に臨み、採決を経て法律がつくられます。

 本件ではこうした法律を打ち立てる議論の出発点において、排除による意見の集約という誤った方法がとられたと考えざるを得ません。そして今回のことを認めれば、今後このような強引なやり方を止めることができなくなることが大いに懸念されます。議論に参加する者は疑問点や問題点を指摘することに常におびえるようになり、法が湧き出す泉のような議論は涸れてしまうでしょう。それはすなわち、安倍政権や菅政権のもとで行われてきた政治を批判する拠点を失うことも、政党の死をも意味しているわけです。

 立憲民主党が自ら切り捨てようとしているものがいかに貴重で重要なものであるのかを考えてみてください。それは単に一人の政治家の進退にとどまる問題ではなく、こうした現行憲法下で法律を打ち立てるという作法を切り捨てたということになってしまうのです。

 あまりに瑕疵の多い本件の報告書が事態の重さを物語っています。党の関係者はぜひ目を通されることを勧めます。おそらくこの文書は日本政治史に残るものとなり、立憲民主党がどのような政党だったのかということを照らし出すでしょう。そしてまた、これからどのような道を進むのかということもまた、日本政治史に残るのです。

 それは岐路なのです。この事態の深刻さを直感し、真摯に議論を行うという気風を守ることが、日本の民主主義をよみがえらせることにもつながります。党の政治家は深刻に受け止め、組織に貫かれるべき民主主義の形を、いまいちど考えていただきたいと思います。

2021.07.19 三春充希