【1】歪められた「朝鮮人虐殺」の史実
先行研究無視や学術的な不備が指摘されるラムザイヤー論文
2021/7/5
https://webronza.asahi.com/national/articles/2021061100004.html?iref=comtop_Opinion_06
ハーバード大学ロースクールのジョン・マーク・ラムザイヤー教授をご存じだろうか。法律分野に属する事象に経済学的にアプローチする「法と経済学」という学問領域の研究者である。1954年生まれで、18歳まで日本に育った経歴をもち、日本の企業や政治経済などの研究で知られる。1990年には日本企業の法的行動様式を検証した著書でサントリー学芸賞を受賞。日本文化への理解促進に貢献したとして、2018年には旭日中綬章を受章した。
そのラムザイヤーが、今年に入ってから世界的な注目を集めている。最初は昨年末に書いた「慰安婦」問題の論文で、次いで、この数年の間に書いた被差別部落問題や沖縄問題などについての論文によってである。
多くの人がすでに様々に論じているこの話題について、さらに私まで発言しなければならないのは、彼が1923年の関東大震災時の朝鮮人虐殺についても、多くの信じがたい誤りを含む論文を書いているからだ。私は研究者ではなく、ノンフィクション作家にすぎないが、『九月、東京の路上で』(ころから)で朝鮮人虐殺を、『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(同)で虐殺否定論(後述)をテーマに書いており、虐殺の史実が歪められるような事態があれば、できるだけ対処したいと考えている。
その前に、まずはラムザイヤーが注目を集めた経緯から見てみよう。
「ラムザイヤー・スキャンダル」の始まり
ラムザイヤーが書いた論文"Contracting for sex in the Pacific War"(「太平洋戦争における性行為契約」)が国際的な学術誌のオンライン版に掲載されたのは2020年末のことだ。内容は、経済学の「ゲーム理論」を公娼制度の下での娼妓や日本軍「慰安婦」に当てはめ、一般にその多くが人身売買の犠牲者と考えられている彼女たちが、実は業者との間でゲーム理論でいう「信頼性のあるコミットメント」を成立させていた、つまり自発的に対等な契約を結んでいたと主張するものだ。
この論文を今年1月に産経新聞が好意的に取り上げ、それを韓国のメディアが報じたことで、こうした歴史問題に関心をもつアメリカ、韓国、日本の人々の間で大きな波紋が広がっている。「事実に反した内容だ」「学術論文の要件を満たしておらず、学術誌に掲載されるべきではない」とする声が韓国や欧米のアカデミズムの世界から上がる一方で、日本国内からは「慰安婦の強制連行がなかったことを証明してくれた」という歓迎の声が聞こえる。歓迎する人々が描き出す構図は、2月25日付の「夕刊フジ」の「『慰安婦』完全否定/米ハーバード大教授/韓国半狂乱」という見出しが象徴しているように、おおむね「韓国」がラムザイヤーを総攻撃しているといったもののようだ。
だが様々な報道を読むと、それは的外れに思える。むしろ、ラムザイヤーとその論文に関わる歴史学や経済学を中心に、欧米のアカデミズムの中から広範に抗議の声が上がっていることが、この問題の特徴ではないだろうか。
たとえばハーバード大学東アジア言語文化学科のカーター・エッカート教授と歴史学科のアンドルー・ゴードン教授がラムザイヤー論文を「最悪な学問的真実性の違反だ」と批判し、掲載撤回を求める共同声明を発している。
ゴードンと言えば、世界的に知られた日本近現代史研究者である。ハーバード大学の歴史学部部長やライシャワー日本研究所所長を務め、『日本の200年――徳川時代から現代まで』(翻訳は、みすず書房)は、日本近現代史の通史としてアメリカの多くの大学で教科書として使われている。2014年には旭日中綬章を受章した。
エッカートは、ハーバード大学コリアン・インスティチュート所長を務めた朝鮮史学者で、著書『日本帝国の申し子――高敞の金一族と韓国資本主義の植民地起源』(同、草思社)では韓国の経済成長の起源を日本の植民地統治に求めたことで議論を呼んだ。同書のレビューをアマゾンで確認すれば、彼が日本でどのように歓迎されてきたか、一目で分かるだろう。
要するに二人とも、「反日」とか「韓国の手先」といった安っぽいレッテル貼りで済む人々ではないのである。他にもテッサ・モーリス=スズキをはじめ、多くの日本史学者が抗議の声を上げている。
専門家が指摘する学術的な不備
ラムザイヤーの専門である経済学の世界からは、「『太平洋戦争時における性契約』について憂慮する経済学者による連名書状」という共同声明が発表された。声明は論文について「経済学の言語を利用し一切根拠のない歴史的主張を試みている」と批判。論文掲載を予定する学術誌に対しては「我々の学問分野には学術的および倫理的な基準が維持されるべきである」と撤回を求めている。連名者には、ノーベル経済学賞を受賞した米国の経済学者である、スタンフォード大学のポール・ミルグロム教授とハーバード大学のアルヴィン・ロス教授の名前もある。彼らはまさにラムザイヤーと同じ「ゲーム理論」の研究者だ。
日本では「慰安婦」問題を追及する市民運動団体などが開設したサイト「Fight for Justice」が、日本史研究会など4つの歴史研究者団体と連名で抗議声明を出している。こうした声明に複数の学術団体が連名するのは異例のことだろう。
さらにこの「慰安婦」問題の論文をきっかけに、ラムザイヤーが2018年頃から在日朝鮮人、被差別部落、沖縄問題などを俎上に挙げて論じる論文をいくつも書いていたことが分かると、波紋はそれらの分野にも波及。部落解放同盟や国際人権NGO「反差別国際運動(IMADR)」などが抗議声明を出すに至っている。
ラムザイヤー論文の問題を取り上げた雑誌「世界」2021年5月号(岩波書店)は、特集タイトルを「ラムザイヤー・スキャンダル」としている。彼の論文の何が、これほどの反響を呼んだのか。批判者が、その主張内容を「歴史否定」「差別的」と受け止めているのは確かだが、それだけではない。それに加えて、これらの論文が多くの「不備」や「不正」を含んでおり、学術論文としての水準に達していないということが、分野を超えて学者たちに衝撃を与えているのである。
韓国・弘益大学の緒方義広助教授は次のようにまとめている。
「専門家たちが共通して指摘しているのは、その主張内容以前に論文の学術的な不備である。文献・史料の恣意的な引用にはじまり、先行研究を無視し、根拠のないままに提示された主張など、学術論文としてその杜撰さが批判されている」「学問的な裏付けのない著作やインターネット上の無責任な言説などが積極的に引用されている」(「放置できない〝歴史否定の再生産〟 ~ラムザイヤ―論文をめぐる国際社会の批判」。ニュースサイト「The New Stance」3月16日付)シンガポール国立大学歴史学部の茶谷さやか助教授は、「(当時の)証言を跡形もなく歪曲」「単なるミス、誤解、知識不足ではなく、恣意的な研究不正」と厳しく指摘している(「世界」5月号)。
ラムザイヤーは歴史学者ではなく経済学者であるから、歴史的な検証については弱いところがあるだろうとは思う。しかし、どうも彼の問題は、それで済むレベルを超えているようだ。
先行研究の無視、史料取り扱いの恣意性・・・
具体的にはどのような問題か。
たとえば「慰安婦」問題の論文は、公娼制度の下での娼妓や戦時の日本軍「慰安婦」について、女性が主体となって業者と契約を結んだという前提で語られている。一般的にこうした契約の主体は女性本人ではなく家族・親族であり、「身売り」という言葉があるように人身売買であったにもかかわらずだ。ところが、そうした常識に反する主張を行うにあたって、彼は、女性自身が業者と結んだ契約書の一つすら提示できていない。また出典にある証言を歪曲している――などである。
ネットで読める批判としては、先に紹介した「Fight for Justice」と歴史研究者団体による抗議声明がある。
沖縄問題を取り上げた論文については、沖縄タイムズが批判している(「米ハーバード大教授「基地反対は私欲」「普天間は軍が購入」 大学ウェブに論文、懸念の声」2020年2月28日付)。同紙によれば、ラムザイヤーは沖縄の反基地運動は県内エリートが自らの給与や地代を上げるために行なっているものだと主張している上、「普天間基地の土地は日本軍が買収したもの」(実際は米軍が接収)など、事実に反した記述が散見されるという。また同紙は、この論文の巻末に参考文献として「朝鮮人を殺せ」と叫ぶデモで知られるヘイト団体「在特会」の元会長・桜井誠の著書や、弁護士懲戒請求呼びかけが大きな問題を引き起こしたブログの書籍化『余命三年時事日記』などが並んでいることを指摘している(「学問の装いで差別強化 米名門大学教授、恣意的な引用 県民の尊厳を攻撃」)。
被差別部落問題を扱った論文はどうだろうか。部落問題を追及してきたライターの角岡伸彦によれば、この論文は「部落民は自らの反社会性、暴力性を原資に、運動団体を組織し、国家や自治体から補助金を強奪した」という主張に貫かれているという(角岡ブログ「五十の手習い」2020年5月31日「貧困なる精神 ハーバード大教授の珍学説Ⅰ~Ⅴ」)。
驚くべきは、ラムザイヤーが、皮革職人や家畜の解体などに関わる人々が不浄視されて最下層の「賤民」に押し込められて差別を受けてきたという、被差別部落の身分制的起源についての常識を否定し、被差別部落民は一般的な貧農の子孫であり、身分的差別という話は大正時代になって新たにつくられたアイデンティティーにすぎないと主張していることだ。しかもこうした起源の捏造にあたって被差別部落の指導者たちがヒントにしたのは、マルクスとエンゲルスが書いた『ドイツ・イデオロギー』だというのである。だが、埋もれていた『ドイツ・イデオロギー』の草稿が世界で初めて刊行されたのは1924年であり、「人間に光あれ」で知られる全国水平社が結成されたのは1922年である。水平社の方が先なのだ。あまりにも馬鹿げている(原文を確認してみたが、ラムザイヤーは確かにそう書いている)。
結局、問題となっているラムザイヤーの様々な論文に対する批判の共有点は「先行研究の無視」「史料の扱いの恣意性」「無理な主張」、さらには参考文献の問題性だろうか。もちろん、内容について「非常に差別的」という批判があるのは言うまでもない。
自警団の虐殺を朝鮮人の犯罪に対する「報復殺人」と規定
では、関東大震災時の朝鮮人虐殺について、ラムザイヤーはどのようなことを書いているのか。本稿で取り上げる論文は、“Privatizing Police:Japanese Police,the Korean Massacre,and Private Security Firms”(「民営化する警察:日本の警察、朝鮮人虐殺、そして警備会社」)というタイトルのもので、2019年6月に書かれている。一見して分かるように、朝鮮人虐殺は論文テーマの一部にすぎない。全体のテーマは、国家が提供する公的な警備保障が機能不全や力量不足となる場面では、自警団から警備会社に至る私的警備保障が行われるということ、そして公的な警備も私的な警備も、時に「保護」から「侵犯」へと逸脱するということのようだ。
「ようだ」というのは、その論旨が時にふらふらと行方不明になるからだ。論文の最初の3分の1は西洋と日本における警備の歴史を19世紀から辿り、次の3分の1を朝鮮人虐殺に充て、残りの3分の1は戦後日本の警備会社の歩みに充てている。だが、19世紀の話はともかく、朝鮮人虐殺の下りでは、論文のテーマに沿って治安機関や自警団の「逸脱」行為の意味を検証しようという意図は全くうかがえない。戦後については警備保障会社の逸脱行為が語られてはいるが、在日朝鮮人の反体制運動や、部落解放同盟と関係があるという警備会社に勤めていた一警備員の性犯罪(盗撮)の話などが不必要に長めに語られ、何か別の興味が論旨を「逸脱」させ、「侵犯」しているように感じられる。「部落解放同盟は(被差別大衆の)保護者は同時に(その)捕食者となり得ることを示した」などという一節もある。
巻末には97本の参考文献が挙げられているが、うち6本が匿名の個人ブログだ。美空ひばりのスキャンダルを取り上げた誰とも知れぬファンブログや、「大阪ニュース」「暴力団ニュース~ヤクザ事件簿」といったタイトルで新聞記事をまとめたものなどである。
ただし、警備会社や美空ひばりについて検証することは私にはできそうもないので、ここからは、この論文のなかの朝鮮人虐殺に関わる部分のみを検証していこう。
朝鮮人虐殺事件に対するラムザイヤーの関心は、以下の引用部分にまとめられている(以下、本連載ではラムザイヤーの論文からの引用はグレー地の囲みで表記する)。
「問題はこれ(朝鮮人の重大犯罪と自警団の虐殺:加藤注)が起きたかどうかではない。どれだけの規模で起きたかだ。より具体的には、(a)震災の混乱の中で、朝鮮人はどのくらい広範に犯罪を行ったのか、そして (b)自警団は実際に何人の朝鮮人を殺したのか――である」彼は、震災時に流言で語られたような朝鮮人の重大犯罪やテロが実際にあったと主張しているのである。その上、自警団の虐殺を朝鮮人の犯罪に対する「報復殺人」と規定している。
「朝鮮人による破壊行為の範囲を割り出そうとする際に陥る証拠の泥沼は、日本人による報復殺人の範囲を割り出そうとする際にも当てはまる」「彼ら(新聞)は朝鮮人の犯罪に関する異常なほど恐ろしい話や、日本人の報復に関する同様に恐ろしい話を報じた」といった具合だ。
これに加えて、殺された朝鮮人の人数を推測する試みも行っているのだが、いずれにしろ、もはや論文のテーマからは完全に「逸脱」しているのはお分かりだと思う。朝鮮人が重大犯罪やテロを行ったのは事実であり、自警団の殺人はこれに対する正当防衛だった――という議論は、ネット上でしばしば見受けられる。私はこれを「朝鮮人虐殺否定論」と呼んでいる。ホロコースト否定論という言葉が、単に「ガス室はなかった」という主張だけでなく、ホロコーストという歴史的事実の意味を、事実を歪めて矮小化しようとする試みを含めて名指す言葉として使われていることに倣ったものだ。ラムザイヤーの主張内容が、そういう意味で「朝鮮人虐殺否定論」であることは間違いない。
他の諸論文で共通して指摘されている「先行研究の無視」「史料の扱いの恣意性」「無理な主張」「参考文献の問題性」はどうだろうか。
確かに、その全てがこの論文「民営化する警察:日本の警察、朝鮮人虐殺、そして警備会社」の朝鮮人虐殺の下りにも詰まっている。
先行研究の無視ということで言えば、参考文献で挙げられている震災関連の資料のなかに、山田昭次、姜徳相、琴秉洞、田中正敬、松尾章一といった虐殺研究の第一人者たちの、日本語による研究文献が一冊も含まれていない。山田の英文論文が一つ入っているだけだ。虐殺問題をめぐって日本政府がどう動いたかを検証した宮地忠彦『震災と治安秩序構想』(クレイン)も当然、入っていない。ラムザイヤーは、先行研究に学ぶことで得られる基本的な知識を欠いたままで、虐殺の様相や当時の日本政府の動向について議論を展開しているのである。その結果として、決定的な部分も含む至るところに一次史料の誤読が散見されるし、推論のみで提示される無理な主張も多い。参考文献の問題性としては、主張に関わる重要な数字の出典として匿名の個人ブログを挙げていたりする。
ラムザイヤーの朝鮮人虐殺否定論が、どのような「先行研究の無視」「史料の扱いの恣意性」「無理な主張」「参考文献の問題性」の上に成り立っているのか、本稿ではこれをラムザイヤーの主張に沿って7つのポイントにまとめて指摘しようと思う。虐殺事件をめぐる基本的な事実関係を説明しつつの議論になるので、どうしても長文になってしまうが、どうか根気強くお付き合いいただければ幸いである。(全5回/本文敬称略)