ちりとりで汚染水を救う

ちりとりで汚染水を救う     「第2章 作業員の被ばく隠しー2012年」より

 

(『ふくしま原発作業員日誌  イチエフの真実、9年間の記録』 片山夏子 2020年)



 この頃、事故発生間もない11年4月から福島第一で働いたいわき市の20代の元作業員が取材に応じてくれた。男性は事故発生直後、3号機のタービン建屋内で、放射線物質の濃度がわからない汚染水を手作業で捨てたり、大型の工作機を分解したり、海側で配管の作業をしたりした。被ばく線量が高い場所が多く、一日2~5mSv浴びる日が続いた。男性の所属する下請け企業は年間20mSvを上限としていたが、男性を含む従業員らの被ばく線量は上限をあっという間に超え、所属企業は年間上限を、30mSv、そして途中から40mSvまで引き上げた。

 男性の担当した作業は過酷だった。3号機のタービン建屋1階の床に点在する汚染水の水たまりを、プラスチック製のちりとりですくっては大型バケツにためる。バケツがいっぱいになると階段入り口の鉄の扉を開け、地下階に汚染水を投げすて素早く扉を閉める。タービン建屋1階の汚染水処理作業は、すべて手作業で、5~6時間で3mSvを被ばくした。他の作業も被ばく線量が高かった。「このままでは被ばく限度をあっという間に使い果たして、働けなくなる」。男性を危機感を覚え、低線量の場所での作業に変えてほしいと会社に訴えたが、聞き入れられなかった。

 しかたなく、男性は原発敷地内の所属会社の倉庫に置かれた空き缶の中に、線量計を置いたまま作業に行くようになった。同じことをしていた同僚もいた。男性はノートに自分の被ばく線量の記録をしており、線量計を置いていった日は「ー」印をつけた。男性のノートには前年の4月からの5ヵ月間で、線量計を持たずに作業をしたのが約20回と記録されていた。高線量下での作業の日に線量計を持っていかないと、一緒にいた同僚との被ばく線量の差が大きくなって目立つため、低線量の作業の日を狙って線量計を置いていった。それでも男性の被ばく線量は、5ヵ月で40mSvを超えた。そして男性は、社長に「被ばく線量限度を超えたから、他県の仕事に行ってくれ」と言い渡された。男性は家族がいるので、他県での仕事は困ると拒否すると、即解雇された。

 男性の記事を10月31日付東京新聞朝刊の一面に掲載した日、厚労省の担当記者から電話が掛かってきた。

厚労省の担当者が『この記事の男性は法律違反をしたのだから、男性の身元や会社を教えろ』と言っている。大手新聞社は、(他の被ばく隠しをした作業員の)名前や会社名を教えてくれた。もし教えないと、書いた記者も問題になると言っている」。どうやら厚労省の担当者が「犯人隠避になるので通報しろ」と言っているようなのだ。おどしのような言いように、私も原発取材班の山川剛史キャップも驚いたが、記者にとって取材源を守るのは絶対義務。言えるはずがなかった。山川キャップも「逮捕されるなら、されてこい。そうなったら、いい記事を書いてやる。厚労省が正式に要求してきたら、記事にしよう。どうせ要求するなら文書でしてくれればいいけど」と笑った。その後、結局、厚労省から連絡がくることはなかった。