「原子力の夢」に挫折 異端者による1人の戦い

原子力の夢」に挫折

異端者による1人の戦い

 

2021/5/2 毎日新聞

 

 

信州で仙人 道半ば

小出さんは2015年3月、定年退職した。「仙人になりたい」。

長野県松本市郊外に居間と寝室の2部屋しかない家を建て、妻と移り住んだ。子ども2人は独立。

住所や電話番号を誰にも知らせず、畑仕事をしながら暮らす。

「朝5時に起きてまずは畑に出ます。雑草を抜いたり、種をまいて苗を作ったり。夕方には畑に水やりをしますが、広いので小一時間はかかります」。

畑では春から秋にかけて約30種類の野菜を完全無農薬で育てる。

6年前に植えたケヤキシラカシの木が大きくなり、冬はまきストーブの燃料になる。

太陽光で発電し、クーラーはない。そもそもなぜ「仙人」に憧れるのか。

「私は人間嫌いなので人と付き合うのが面倒くさい。精神的にも肉体的にも老いてきているのを自覚しており、消えていく道をつくろうと思っています」

その一方で、原子力を研究する場に身を置いていた人間として、自分には「特別な責任がある」との考えが消えることはない。

原発事故時、4児を抱えて西日本に避難した写真家の田村玲央奈さん(47)と公演後に言葉を交わした際、こう謝罪した。「心からごめんなさい、あんなものを生み出してしまって。子どもたちに謝りたい」

自分のメッセージに応えて行動に移した一人に、女優の木内みどりさん(19年に69歳で死去)がいる。映画やテレビの出演機会が減ることを恐れずに数万人規模の脱原発集会で司会を務めたり、社会的・政治的発言を続けたりした。前掲書の「原発事故は━」にはこう記す。

〈私はラジオでも公演でも、「(原子力は安全だと)騙された側にも責任がある」言ってきましたが、その言葉を一番真摯に受け止めてくれたのは木内さんでした〉

 


何度か小出さんの講演に通った私(取材する沢田石記者)は、ある一つのことに気付いた。聴衆に共闘を呼び掛けたり、連帯を求めたりする言葉を意識的に使おうとしないのだ。そう指摘すると、こんな答えが返ってきた。

「私は徹底的な個人主義者なので、孤立を恐れないで生きてきました。私は人に何も求めません。人間は一人一人がかけがえのない個性を持ち、100万人いれば100万通りの生き方があります。それぞれの人が判断して、行動していけばいい」

原子力の場」の「異端者」は後悔を胸に仙人への道を歩んでいる。そして他人からは不器用に見えるかもしれないが「一人の戦い」を今も続けている。

 


学生運動が下火になった74年に大学院修士課程を修了し、京都大原子炉実験所の助手(現助教)に採用されるまで教授陣と安全論争を続けた。京都大はリベラルな学風で、採用時に身元調査などはなかったという。原子核工学科にとって厄介な存在だったに違いないが、小出さんを研究室に受け入れてくれた教授が一人いた。

選んだテーマはトリチウム。「原子力を利用する限り、トリチウムは生まれ続け、捕捉できない。長期的には最大の環境汚染源になる」と考えたからだ。原子力廃絶のための研究は自ら認めている通り「異端中の異端」。出世には関心がなかった。

研究を続けたトリチウムは、福島第一原発の事故後、処理水から取り除けないことが問題になった。政府は処理水を希釈して海洋放出する方針を決めたが、地元の漁業者らの反対は根強い。

 


東北大の指導教授とは別に、一人の「恩師」との出会いも小出さんの人生に影響を与えた。当時、東京大原子核研究所の助教授(後に芝浦工業大教授)だった水戸巌さん。

女川原発の反対運動をしていた仲間が業務上妨害容疑で逮捕された際、小出さんは裁判で原発の危険性を証言してくれる学者を探していた。友人から紹介されたのが原子核物理学者の水戸さんだった。いち早く原発の危険性を訴え、反原発運動の黎明期を切り開いた人物として知られる。

69年に、水戸さんは人権団体「救援連絡センター」の設立に妻の喜世子さん(85)らと参画し、大学闘争で逮捕された学生らを支援してきた。小出さんから依頼を受けると手弁当で裁判の証人となり、女川原発反対集会での公演を引き受けた。

 


53歳で早世した水戸さんの「お別れ会」で小出さんはこう述べている。

「国にたてついて、たった一人でも、専門的に、また運動的に状況を切り開いていかねばならなかった水戸さんの歩んできた道は誠に険しかったと思います。しかし、水戸さんは一介の学生にすぎなかった私たちに対しても、常に丁寧で思いやりのある態度で接してくれました」


山好きだった水戸さんは86年末、24歳の双子の息子と冬の北アルプス剣岳を登山中に遭難。翌年、3人の遺体は谷筋で見つかった。冬山登山なのに3人の靴がテント内に残されていたことが謎として残った。厳冬下、何らかの事情で靴下のままテントを出たことになるが、その理由は分かっていない。

 


小出さんは2月刊行の「原発事故は終わっていない」(毎日新聞出版)にこう記す。

〈私の周辺には、事故を装い殺された疑いが拭い去れない人が5人います。また、自死を装って殺されたかもしれない人が2人います(抜粋)〉

小出さんは私にその一人一人の名前と死亡時の状況を説明した。そこに水戸さん親子も含まれていた。

 

取材 沢田石洋史(企画編集室)
1992年入社。東京・大阪社会部、東京地方部副部長、夕刊報道部副部長などを歴任。本欄で2018年に「俳優・中村敦夫 78歳の挑戦」を執筆。毎日新聞ニュースサイトに「この国に、女優・木内みどりがいた」を連載中。