アイヌモシリを訪ねて・北海道先住民族の歴史といま ①北海道旧土人保護法…言葉や文化、土地を奪う「同化」

 

アイヌモシリを訪ねて・北海道先住民族の歴史といま ①北海道旧土人保護法…言葉や文化、土地を奪う「同化」
 
2021/3/1 全國商工新聞
 
 
 今号から、5回にわたってアイヌの差別問題を取り上げることにしたい。
 本紙で「日本の島に魅せられて」を連載中(2018年12月~20年1月)、北海道の読者から編集部に手紙が届いた。観光記事かと思ったが、掘り下げた内容だというお褒めの言葉に、一文が続いていた。
 ----北海道はアイヌ民族の楽園でした。そこへ和人(筆者注:アイヌ以外の日本人)が侵入してきて、(略)アイヌを虫けらのように扱い、文化も言語も生業も奪いました。誰あろう、私の祖父も侵略者の一人でした。
 投稿者は、贖罪の思いも込めてアイヌ語アイヌ文化について長らく学んでおり、ぜひ北海道のアイヌ差別について、多くの人に真実を知らせてほしい、そう結んでいた。
●江戸期から搾取
 アイヌは、主に北海道に住む先住民族であり、鎌倉時代頃に成立したとされ、由来などは諸説あり確定していない。人種的には、彫りの深い顔立ちなどからコーカソイドとされたこともあったが、遺伝子解析の研究が進んだ今では、和人と同じくモンゴロイドと考えられている。
 江戸時代から蝦夷地(北海道の旧名)へ入り込んだ和人の商人などにより、一方的に搾取されてきたアイヌだが、1899年明治政府により北海道旧土人保護法が施行され、さらに文化的経済的な圧迫が進んだ。法律の名前を見ただけで、差別性の強さが窺える。
北海道庁のサイトには、同法について以下(抜粋)のように記されている。
 ----アイヌの人たちを日本国民に同化させることを目的に、土地を付与して農業を奨励することをはじめ、医療、生活扶助、教育などの保護対策をおこなうものでした。
●人権無視の悪法
 同化させるということは、言葉も文化も奪い、望みもしない価値観を強制することに他ならない。人権意識が低かった。当時(日本は今も低いが)、善意のつもりで押し付けた法律だった。
 ----和人の移住者に大量の土地を配分したあとで、新たに付与する良好な土地は少なく、付与された土地もその多くは、開墾できずに没収されたり、戦後の農地改革では他人に貸していた土地が強制買収されたりしました。また、その他の対策も必ずしも成果は上げられませんでした。1899年に制定された同法は、紆余曲折を経ながらも、1997年アイヌ文化振興法ができるまで存続した。らい予防法や優生保護法と並ぶ、人権無視の悪法とされている。(フリーライター・斎藤潤)
http://bit.ly/2OnuQWd ←「アイヌの権利とは何か」…先住民族としてのアイヌの権利
https://goo.gl/We41qr ← 明治になり蝦夷地が北海道と改称され各藩による分割統治が行われる。幕藩体制の終焉で行き場を失っていた各藩の有力者はここに植民地支配のうま味を憶え短時に強蓄積を遂げる。そこで得た金を更に大規模に運用する試みが中国の植民地化事業だ。
https://bit.ly/2KUonkk徳川幕府の北方政策―蝦夷地の内国化とアイヌへの同化政策
https://goo.gl/GUDpndアイヌモシリ(アイヌ=人間、モシリ=大地)であった蝦夷地の研究です。アイヌの人々は文字を持たず、年代測定の「ものさし」となる土器を使用しませんでした。そこで、和人から交易で入手した「煙管」や刀、鏡などに注目し、北海道、サハリンが日本の経済圏に組み込まれていく過程を解明しようと試みた関根達人さん。