「福島を切り離せない」ノーマ・フィールドさん語る分断

 「福島を切り離せない」ノーマ・フィールドさん語る分断

朝日新聞デジタル  2021/2/20


「自分の余生を、福島と切り離すことはできないだろう。日米双方にルーツを持つ日本文学・文化の研究者で、シカゴ大名誉教授のノーマ・フィールドさんは3・11直後、そう直感したといいます。日本の原発事故被災と、コロナ禍や政治的分断に揺れる米国の現状への思いを聞きました。
 1947年生まれ、シカゴ在住。シカゴ大学名誉教授。日本生まれで、父は米国人、母は日本人。著書に「天皇の逝く国で」(みすず書房)、「小林多喜二 21世紀にどう読むか」(岩波新書)など。
 ――東日本大震災が起きて以来、福島に通い続けていますね。
 原発事故の知らせを聞いたとき、私はこの先、福島から離れられないだろうという思いを抱きました。その直感に従い、2011年11月に初めて福島県に入って以来、コロナ禍でかなわなかった昨年を除き、年2回ほどのペースで通ってきました。
 被災者に「よりそう」と安易に言うことにはためらいがあります。私は時折、米国から飛来するだけの立場であり、その地で暮らし続ける人でなければ分からない、切実なことがあるに違いないからです。それでも、福島を切り離して余生を生きていくことはできないと、3・11直後に強く感じました。


 ――日米双方のルーツを持つあなたが、原発事故にこだわり続ける理由はなんですか。
 核災害と私の出会いは、日本での少女時代にさかのぼります。第五福竜丸事件が日本を騒がせた頃、米国による太平洋の核実験をめぐって、両親の考えが食い違っていることに気づきました。米国人で退役軍人だった父は核兵器の必要性を信じていた一方、日本人の母親は戦争経験から核実験に強く反対していました。
 広島・長崎の被爆の実相を知る以前でしたが、子ども心に母親の方が正しいと感じました。半世紀後、3・11の福島で起きたことを知った時、アメリカによる原爆投下の事実が呼び起こされ、何ともたまらない思いがしたのです。原爆投下と原発事故の関係を問うことの複雑さは、徐々にわかってくることですが。
 ――被災地に10年間通い、見えてきたものはなんですか。
 原発事故後の福島の印象を語るのは難しい。放射能汚染は目には見えません。あるとき、地元の方から、「東京の人を被災地に案内するとき、どこを見せたらいいですか」と相談されることがありました。
 除染土を詰めたフレコンバッグが海のように並ぶ風景や、避難指示区域のシャッター通り、遠くに福島第一原発のクレーンが見えるような場所はありますが、それは決して被災のすべてではない。
 この「見えにくさ」こそが鍵なのだと思います。視覚では捉えられないけれど、住民たちの日常や精神を明らかに縛っている。それが「核災害」です。
 ――著書の「天皇の逝く国で」では、日本社会に根強く存在する生きづらさを書いています。この10年、被災者が置かれた状況について、どう考えますか。
 原発事故の被災者がどんな思いをし続けるか、強く懸念してきました。不安を感じているのに、それを押し殺して沈黙を守り続けなければならないとしたら、どれほどつらいことか。被災者が不安を口にするだけで「福島差別を助長する」と言われかねない状況はおかしいと思います。
 「正しく恐れる」ことが推奨されましたが、「心配し過ぎるな」という意味で使われてはいないでしょうか。放射能汚染は均一ではなく、流動的でもあるので、不安が残るのは当然です。しかし、それを封じ込めることにエネルギーが費やされているかのようです。


「コロナ感染者への視線、原発被災者のそれと近い」
 ――日本社会の生きづらさという点では、コロナ禍で起きていることも想起されます。
 たしかに、コロナ禍は、核災害と重なる部分があると感じます。昨年春、日本に寄港したダイヤモンド・プリンセス号で集団感染が発生した際、福島の友人と連絡を取りました。政府の対応への不信感が情報隠しによって増幅していく様子は、原発事故の直後とまったく同じだと言っていました。
 また、日本の報道では、新型コロナウイルスに感染した人たちが差別を受けて苦しむこともあるようです。感染者への視線は、原発被災者へのそれと近いのではないでしょうか。
 その点では、米国と日本で違いがありそうです。息子夫婦が子どもを預けているシカゴの保育園は昨年3月、コロナ禍で休園しました。数カ月後にようやく再開したと思ったら、直後に1人の保育士の感染が判明し、また休園に戻ってしまったそうです。
 「その保育士は気に病んでいないだろうか」と聞くと、「どうして感染した本人が気にしなければならないの?」と息子から逆に問われました。私自身、日本で当初みられた感染者への態度を吸収していたことに気づかされました。
 ――原発訴訟の傍聴もされていますね。
 30件以上起こされている原発事故関連の裁判のうち、民事、刑事を合わせてこれまでに6回ほど傍聴しました。判決そのものとは別に、訴訟にはとても大きな意義があると思います。
 もちろん、よい判決を切望しますが、勇気を出して裁判を起こした人がいるからこそ、「なかったこと」には決してできないのです。声を上げない県民でも、事故がなかったことにされることは絶対に認めないはず、と福島の友人は言います。声を上げ続ける少数者のおかげで、歴史に記録が残ります。心から敬意と感謝を表したいです。
 昭和天皇死去で日本が自粛一色となった際も、女性や在日コリアンを含めた多くのマイノリティーが声を上げ、社会のひずみが見えました。世間に波風を立てたくないというのが普通のマジョリティーです。しかし、それではたまらないと立ち上がった人たちがいて、社会が改善される。進歩は少数者の闘いに多くを負うものです。
 ――米国のBLM(ブラック・ライブズ・マター=黒人の命を軽んじるな)運動もそうでしょうか。
 その通りです。この運動が盛り上がる契機となった昨年5月のジョージ・フロイド事件(白人警官に首を圧迫されて黒人男性が死亡した事件)では、最初に黒人たちが声を上げ、それに多数の白人が賛同しました。多くは身体を張って。社会の不当な仕組みに苦しみ、それに抗おうとする運動によって、「なかったこと」にはできなくなる。
 米国の歴史で、これほど多くの白人が人種的マイノリティーと共に立ち上がったことはなかった、とよく言われます。人種差別が米社会にいかに根深く入り込んでいるか、白人警官が黒人の首を押さえつけて息の根を断った8分40秒の動画によって、やっと実感できた白人も多くいました。
 この運動には、コロナ禍も影響しました。ウイルスに感染し、職を失って苦しむ人が人種的マイノリティーに偏っていることが誰の目にもはっきりと分かったのです。人種差別を意識してこなかった白人たちも無視できなくなった。半面、この間に「白人至上主義者」の姿を多く見せつけられていることも事実です。
 ――日本における同種の動きをどう見ますか。
 3・11後の反原発運動や安保法制に抗議する国会前集会は、日本でもデモによる抗議表明ができることを示しました。もちろん、戦後の歴史を多少なりとも知っていれば、これは驚きではないのですが。
 昨年の黒川弘務・元東京高検検事長の定年延長問題でも、コロナ禍に適応してネットデモも起きました。しかし、どれも見える形では継続せず、潮が引くように消えてしまいました。

 格差が拡大するなか、経済的な不安を抱え、危険を冒したくないという若い世代の心理は分かります。しかし、そのような処世術は民主主義にとって致命的になりかねない。トランプ政権によって表にあらわれた米国社会のひどさは言うまでもありませんが、差別や不平等に対する抵抗もまた、米国の方が生まれやすいように思います。


「希望を持つために、まずは過酷さを受け止めて」
 ――震災から10年、どこに希望を見ますか。
 日本での震災からの10年、そしてアメリカでのトランプ政権下の4年、いかに人間の命が大切にされていないか、見せつけられた思いがしています。安全をお金で買える人の命しか尊重されない、ということを実感させられました。
 年配者として、若い世代には希望を持って欲しいと思います。そのためになにができるのか。まずは、現実に起きたことを見つめ、その過酷さを受け止めること。それは絶望を引き受けることでもあります。過酷な現実を生み出した社会の恩恵を受けたものとして、当然なことでしょう。
 英国の小説家、美術評論家ジョン・バージャーは生前、中東パレスチナガザ地区に暮らす人々を見て、「屈することなき絶望」と表現しました。日本と米国の現状を思うと、どうしてもこの言葉にたどり着くのです。
 どんなに苦しくても、覚悟を決め、現実を正面から見据え、伝えるすべを模索しなければなりません。そこから、不思議とエネルギーが湧いてくるものです。これが、次の一歩を見いだすことのスタートではないでしょうか。(聞き手=編集委員・真鍋弘樹)
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 ノーマ・フィールド 1947年生まれ、シカゴ在住。シカゴ大学名誉教授。日本文化・日本文学専攻。日本生まれで、父は米国人、母は日本人。著書に「天皇の逝く国で」(みすず書房)、「小林多喜二 21世紀にどう読むか」(岩波新書)など」