過激な人が消えた社会 「ゆきゆきて、神軍」からの変容

 過激な人が消えた社会 「ゆきゆきて、神軍」からの変容

 

2021/2/16 朝日新聞

 

 

 映画監督の原一男さんが水俣病と闘う人々を追った「水俣曼荼羅(まんだら)」が今年、公開される。型破りの「過激な人」を主人公にしたドキュメンタリーで知られる監督だが、近年は社会問題に直面する「ふつうの人々」の群像を描いている。作風が変わった背景にあるのは、自身の75年の人生と重なる戦後日本の社会の変化だという。

ずっと探した「スーパーヒーロー」
 ――原さんの作品は、戦争責任を過激に糾弾する元日本兵奥崎謙三氏を描いた「ゆきゆきて、神軍」(1987年)をはじめ、エネルギーにあふれた「突出した個性」の主人公がまわりの人々を巻き込んでいく姿が鮮烈でした。

 「ぼくは『スーパーヒーロー』と呼んでいます。障害者差別解消を訴える脳性まひの活動家、自力出産する女性、戦争責任を追及する元日本兵、虚実入り交じる小説家……。主人公の立場はいろいろなのですが、みな表現者として自立した、強い人ばかりでした」

 ――それが、最近の「水俣曼荼羅」などの作品では、突出した主人公というより、群像が描かれています。なぜですか。

 「奥崎氏のような『過激な人』がいないか、ずっと探していたんです。金嬉老(キムヒロ)氏を主人公にした作品を構想したこともあります。68年に殺人事件を起こして静岡の温泉旅館に立てこもり、民族差別を告発すると主張した人です。金氏のお母さんに会い、刑務所出所後の身元引受人になることも検討しました。しかし奥崎氏のときのような高揚感が感じられず、映画にできないと考え、断念しました」

 「10年以上探したが、見つからない。戦後の日本人が70年代ごろまで持っていたエネルギーが衰えてしまった。平成という時代が過激な生き方を受け入れなくなり、日本はヒーローが存在できない社会になったのでしょう。撮りたい人がもういないということは、ぼくも映画監督としておしまいなんじゃないか、とさえ思いました」

 「ぼく自身が『庶民から抜け出て一旗あげたい、時代を引っ張る生き方をしたい』と思っていた。でも、自分の器量はそれほど大きくない。だから過激な生き方を実践する人にカメラを向けてのっぴきならない関係をつくり、ぼくを鍛えてもらいたい――。そんな20~30代のころからの願望を、作品に託していたんだと気づきました」

問われる民衆の「主体性」
 ――アスベスト被害者たちの運動を追った「ニッポン国vs泉南石綿村」(2017年)が転機になったと聞きました。

 「被害者は、みんなふつうで、『お上にたてつくなんてとんでもない』という人ばかり。登場人物がいい人ばかりで、撮っていてじれったいんです。奥崎氏のような怒りを込めて突き抜ける行動を、なぜとらないのかと思いました」

 「そんな人たちが、次第に『闘わなければ』と自覚が芽生えていき、裁判で勝訴をかちとっていく。いわば成長物語なのですが、撮影を終えて編集に入っても、映画として成立しているのか自信がもてなかった。でも山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された際、観衆約30人が次々と『よかったです』と感想を言いに来てくれて、市民賞を受賞した。そのとき、確信が得られました」

記事の後半では、水俣病をテーマとした新作に込めた思いや、戦後日本社会について原監督が語ります。

 ――どんな確信ですか。

 「スーパーヒーローに引っ張ってもらうのではなく、ふつうの庶民に焦点を当て、映画を見た一人ひとりが自分から行動を起こしたくなる作品をつくろうと腹を決めた、ということです。政府や権力者が何かしてくれるだろうと、唯々諾々と従っても何も変わらない。かといって権力者に抗(あらが)う牙のような存在など、どこにもいない。結局、民衆一人ひとりの主体性が問われているのだ、と」

 ――「れいわ一揆」(19年)では、19年の参議院選で旋風を巻き起こした「れいわ新選組」の候補者たちを追いかけました。

 「候補者の一人となった安冨歩・東京大教授から選挙1カ月前に『原さんが撮ってくれるなら選挙に出ます』と言われ、いきなり映画を撮ることになった。テーマは『言葉』です。候補者が語る言葉が、どのように有権者に届くのかを追いかけた作品です」

 「昨年4月に公開予定でしたが、コロナ禍による映画館の休業で上映が延期されてしまった。改めて9月公開と決まったものの、山本太郎代表が7月の都知事選で敗北したのをきっかけに党内でさまざまな問題が噴出し、『れいわ新選組』をめぐる世間の空気は大きく変わっていました」

 ――何を感じましたか。

 「強いリーダーにすがりたい気持ちは分かる。でも、その後に『だまされた』といっても解決しない。庶民は自分たちで自分たちを引っ張らなければいけない」

 「政党のPR映画ではないのだし、むしろこの荒波をくぐって上映されることに意味がある、と考えています」

水俣病、6時間超の大作に
 ――「水俣曼荼羅」の公開を控え、映画祭などで先行上映が始まっています。15年以上の取材を重ねた作品ですが、なぜ水俣病をテーマに選んだのでしょうか。

 「最初は『ポケットマネーを出すから撮らないか』と知人に誘われ、04年に水俣病関西訴訟の判決で勝訴した原告らを最高裁前へ撮りに行きました。水俣で現場を見て回り、半世紀以上を経て問題が終わっていないと知りました」

 「水俣病が最初に問題になったときの第1世代の患者は、その後次々と亡くなりました。小児性患者ら子どもだった第2世代の患者が、大人になって症状を自覚するようになってきている。健康だったことがなく、子どものころからカラス曲がり(こむら返り)や立ちくらみといった体の不調があったのに、水俣病の症状と結びつけていなかったことに、最近になって気づいたという患者もいます」

 ――6時間12分の長編作品に登場する患者や支援者のなかには、その後亡くなった人も多く、年月の流れを感じる映画でした。

 「水俣病の運動は患者だけのものではありません。支援者が水俣の地に根づき、人生をかけて運動を担うリーダーになっている。患者も医師も、弁護士も記者も支援者も、おのおのが楽器を鳴らし、絶妙な交響楽を奏でている。そんなイメージを、諸仏や菩薩(ぼさつ)を集合的に描いた図『曼荼羅』を冠したタイトルに込めました」

 ――昨年10月、映画祭での先行上映後のあいさつでも「6時間かかる映画だと、まず認めてください」というのが第一声でした。

 「過激な人が引き起こす感情の強い場面で端的に表現するのではなく、ふつうの人々のさまざまな感情を時間をかけて追うため、映画は長くならざるを得ません。かつて水俣病の映画を数多くつくった土本典昭監督は、患者たちの姿と不知火海の生活世界、水俣病の医学の問題をそれぞれ別の作品で紹介しました。しかしぼくは、長くなっても1本の作品で水俣病世界をまるごと描こうと思いました」

改めて問う、日本社会の成熟
 ――水俣病はこれまで手足など末梢(まっしょう)神経の障害によってさまざまな症状が起きるとされていましたが、その後の研究で、じつはメチル水銀に侵されるのは大脳なのだとする学説を紹介しています。

 「メチル水銀によって大脳が破壊されるため、感覚神経が触覚や痛覚などの刺激を受け取って脳に伝えても、正確に解釈できない。その結果、いわゆる五感が損なわれた状態になり、人が話す内容を理解し整理できなくなる。人間が文明を享受するため必要な脳の機能が失われるのが、水俣病の恐ろしさだというのです。患者の尊厳にもかかわるデリケートな問題であり、研究内容を短くまとめて説明するのが難しいので、映画でも十分に時間を割いています」

 ――医学者の研究に協力しようとした患者が、途中で気が変わって断ってしまう場面もあります。

 「自分の水俣病の症状が測り直されることで、障害の等級がこれまでより軽く認定され、手当の額などの処遇に影響するのではないかと恐れたのです。自分や家族の生活を守ることに必死な姿を見ていて、患者たちがそこまで追い込まれ、行政や医学への不信感を募らせているのだと感じました。被害者たちは裁判やお金などさまざまな要素によって分断され、人間関係が複雑に入り組んでいる。それもまた水俣の現実でした」

 ――映画を通じ、問い続けているのは社会のあり方でしょうか。

 「水俣病は公式確認から60年以上もたつのに、なぜ解決しないのか。政府や権力者に、解決しようという意思がないからです」

 「一部の権力者が欲得のためこの国と憲法をつくりかえることを企てているのに、民衆は怒りもせず権力に迎合してしまう。日本に民主主義がほんとうに根づいたのか、日本社会は成熟しているのかを改めて問わざるを得ません」

 「日本が戦争に負けた45年に生まれたぼくは、戦後民主主義が導入される中で育ちました。50年近く映画づくりにかかわってきて、いま原点に返ろうとしています。戦後社会をかたちづくった『民衆』の一人として、今後も作品を通じた問題提起を続けていきたいと考えています」(聞き手 編集委員・北野隆一)

     ◇

 1945年生まれ。ほかの主な監督作品に「さようならCP」「全身小説家」「またの日の知華」など。大阪芸術大教授などを歴任。