そよかぜ  王林起さんの赤とんぼ

 

そよかぜ  王林起さんの赤とんぼ

2021/1/16 朝日新聞 

 

昨年の年始に国際面で掲載した連載「私は〇〇人」で紹介した王林起さんが、昨年11月末、肺がんで85年の生涯を閉じた。

山形県高畠町に「渡部宏一」として生まれ、両親に連れられて旧満州へ渡った。終戦の混乱で家族5人をすべて失い、10歳で残留孤児となった。

中国の養父母の愛情に報い、最期まで北京で「王林起」として生きた。12歳年上の養母も年末、追うように旅立った。

親族から「彼が大切にした『日本』の友人として会いに来てくれないか」と招かれて参列した葬儀場には、日本の歌が流れていた。
夕焼け小焼けの 赤とんぼ

王さんが「山形の家の裏の小道で、僕を背負う母が歌ってくれたのを覚えている」と話していた歌だ。

棺に眠る王さんに、娘の海燕さん(47)が語りかけた。「今度生まれ変わったら、きっと、苦しみのない人生になるよ」。そして涙の奥の目に、強い意志を宿してこう続けた。「お父さんは自由になった。もうどこに行ってもいいんだよ。日本に帰りたければ帰ってもいい。安心して。願いは必ずかなえるから」

海燕さんは昨夏、王さんに願いを託されていた。「自分が死んだら、山形の先祖の墓にこの6人の名を刻んでほしい」。渡された紙には「渡部宏一」のほか、日本に帰れなかった両親と弟2人、妹の名があった。

王さんは死を目の当たりにした母と上の弟だけでなく、軍に現地召集されて連絡が途絶えた父、逃避行の中で行方不明になった妹と下の弟のことも「できることなら、探し出して日本に帰してあげたい」と、ずっと気に掛けていた。

海燕さんは6人の名を刻むことについて「生き抜いた者として、家族の運命にけじめをつけたかったのでしょう」と言う。

王さんは「骨はどうしてくれてもいい」と言っていたが、海燕さんは、一部でも日本に帰してあげたい、と考えている。もし実現が難しければ、海に散骨するかもしれない。海は、日本につながっているから。

葬儀の後、親族の食事に加えてもらい、王林起さんのことを語り合った。実直な性格で「長男」として慕われた彼は、中国のにぎやかで温かい家族の心の中にとどまり続ける。

もう一人の彼は、日本に帰るのだろうか。

いつか山形の小道を訪ね、母の背で眠る宏一少年の面影を探そうと思う。

(平井良和)