客観的になってきた「三島」

客観的になってきた「三島」
 ●山中剛史 自分の人生を作品化
 ●平野啓一郎 日本社会の否定理解

 

2020/12/23 東京新聞

 


 コロナにまみれた一年だったが、今まさに猖獗(しょうけつ)を極めるさなかにあって、まだこの状況を客観的に捉えることはできない。文芸においてもコロナはさまざまな形で扱われはしたが、現在進行形の動揺を書き留めはしても、これがもたらしつつある不可逆的な変化の行く末を語るにはまだまだ時間がかかるだろう。一般に事件が作品として結晶化するのに必要な時間は、その驚きの大きさに比例する。
 その点で、三島由紀夫の衝撃的な自死はつねに扱いにくい「事件」とされてきた。だが、それからはや50年。節目の年に関連書籍、イベント、雑誌の特集など脚光を浴びた。
 私自身は、あの死の大きな動機は、「三島由紀夫」という存在自体を一つの「作品」にしようとの意志だと思っている。
 誰しも自分の人生を一つの物語として捉えるものだが、しかし他のどの物語とも違ってその結末を読むことはできない。また物語の初めも自分では読めない。親たちから伝え聞くばかりである。
 しかし三島は『仮面の告白』の冒頭で、生まれたての自分が産湯に浸かる光景を記憶していると書くことで、自分の物語のはじまりを自分で把握していると主張した。そして、常人とは異なる出生を持つ主人公には、それにふさわしい華やかな結末が用意されなければならない。そうしてはじまりと終わりを自分自身で仕立てあげることで、「三島由紀夫」という作品を完成させようとしたのだろう。山中剛史も、死の前後に計画された百貨店での三島展や写真集出版なども含めて、「自分自身を以て芸術作品となろうとした」のではなかったかと述べている(「生身の死とイメージの再生」『季刊文科81』)。では、「三島」という作品は完成から半世紀を経てどのように評価されるのか。
 時評という性質上、雑誌の特集に話を限る。最も早く、また最も力の入っていたのは『季刊文科』で、一つの対談に十の論考が並ぶ。中でも、三島の自決の衝撃によってある種の覚醒を体験した松本徹と佐藤秀明の対談は読みごたえがある。三島について語ること自体がタブー視されていた時代から50年にわたって考え続けてきた三島由紀夫文学館の前・現館長である二人が、これまでと今後とに残さ.れた論点を簡明に整理してくれている。
 それと対極的なのが、『すばる』10月号の、小佐野彈、鴻池留衣、古川真人、水原涼による座談会で、たとえば「三島のことって、いっそのことファミレスとかでだらだらしゃべるほうが向いているんじゃないですかね」というような発言が飛び出す。良かれ悪しかれ、もはや事件のタブーからは完全に解放されている30代の人間の語りだ。
 しかし、同じ『すばる』のジョン・ネイスンの講演「三島の問題」は、やはり海外でも「三島」という「問題」がバイアスとなって、それが関心を呼び起こす元となっていることを指摘する。
今なお上演される戯曲を中心に小特集を組んだ『文学界』12月号でも、直接事件に触れはしないが、田中慎弥の「『橋づくし』『憂国』観劇記」にあるように、未だに『憂国』の自決に作者自身のそれが重ねられてしまう「三島」の呪縛の強さが問題となっている。
 「三島」という問題に縛られることもなく無視することもなく、新しい読者のために道を拓いてくれているのは、文芸誌でないのに大特集を組んだ『芸術新潮』12月号の平野啓一郎だった。インタビューを含めた15の作品を読み解くことで、「三島」という作品の読み方にも深く迫る。方向は全く逆かもしれないが、自分が生きる日本社会の否定というところで通じ合うところがあるという。平野は『新潮』で12月号から『豊饒の海』についての論考の連載を始めたが、こちらも楽しみだ。
 「三島」が「事件」でなく、一つの「作品」としてようやく客観的に捉えられつつあり、それを通じてたとえば彼の日本論も真に冷静かつ建設的な形で論じ直されるようになるのだろう。三島ならたとえばこのコロナ禍に喘ぐ日本社会で何を語っただろうか。(いとう・うじたか=文芸評論家、明治大文学部専任准教授)
http://bit.ly/37Ms2sM三島由紀夫自決50年 保阪正康さんに聞く…人格つくった戦中に回帰。
http://bit.ly/3pm8Po0 ←「苦しさが滲むのは、決まって〈絶対者〉としての天皇を理論化しようと試みる時」であり、逆に「『天皇抜き』の最大の作品こそが、『豊饒の海』だった」とする。それでも「天皇抜き」という「知的誘惑を峻拒」し「最後には『天皇陸下万歳!』と叫んで自決」した「屈折」を無視して、三島の文学を語ることはできないと…。