北京と同じ青春

「父」

  泣きながら駆け登りたる丘の上打たれし頬が風に震いぬ      道浦母都子

 

 北京と同じ青春

 つい三か月前、春近い長安街を歩いたが、その長安街が血に染まった。自転車の銀輪が波のように溢れていた道路を、今度は戦車がわが物顔に闊歩した。人民解放軍と呼ばれる人民を守るための軍隊だ。いえ、軍隊だった。人民を守るための軍隊が、人民に向け銃を乱射する。ついこのあいだまで想像もできなかったことが、今現実として私たちの前にある。
 非暴力に徹して民主化要求を掲げる北京の学生たちに、私はかつての私が理想とした世界を見いだしていた。全共闘世代と呼ばれた私たち世代の日本の学生運動が、ついに獲得できなかった世界だ。暴力に暴力で対抗することより、暴力に非暴力で立ち向かう困難を北京の学生たちは選ぼうとした。その結果、多くの血が流されたが、私たちはその勇気と流された血を忘れない。少なくとも私は――。
 提出歌は二十年前の冬、学生運動に加わり、逮捕、拘留され、釈放された後の私の歌だ。
 《釈放されて帰りしわれの頬を打つ父よあなたこそ起たねばならぬ》《振るわるる盾より深くわれを打つ父の怒りのこぶしに耐うる》《「今人間であろうとすればデモに行きます」父の視線よ背きていよ》。
 こんなうたが、提出歌の前には並んでいる。
 学生運動に参加し、逮捕されたこと、そして鋭く父と対峙したこと。この二つが私に短歌を選ばせたといえる。何かを伝えたかったからだ。ちっぽけな一人の人間の独白にしかすぎぬようなうたであっても、ひとつの時代を懸命に生きたという事実を、小さくとも確実に伝えられるかもしれない。その思いが私に短歌を作らせたのだ。
 北京の学生にかつての自分の姿を見る私たち世代は、父となり母となった今、子供たちの世代に語り継ぐべきことがある。

(『女うた男うた』 道浦母都子坪内稔典 2000年 平凡社

 

 

広場近くの大通りを行く戦車の列に立ちはだかる男性 ── 事件を象徴する写真となった。

広場近くの大通りを行く戦車の列に立ちはだかる男性 ── 事件を象徴する写真となった。

 

AP

出典 :BBC,PBS