日本学術会議問題に僕たち映画人が声を上げた理由(森達也)
Why We Have to Fight Back
2020年10月13日(火)17時00分<座して沈黙しているだけでは言論や表現の場は萎縮する一方だ。ハリウッドを狙った赤狩りの歴史を思えば、日本学術会議の任命拒否問題は人ごとではないと僕たちは知っている>
2001年10月、僕は山形市に滞在していた。この時期に開催されていた山形国際ドキュメンタリー映画祭のインターナショナル・コンペティション部門に、僕にとって2作目の映画となる『A2』が招待されたからだ。1回目の上映が終わった翌日の朝、コーヒーを飲むために立ち寄った映画祭事務局のメールボックスに、「アメリカのアフガニスタン侵攻に抗議の声を上げよう」との趣旨が書かれたチラシが入っていた。
大急ぎで作ってコピーしたらしいチラシの裏面には、世界中のドキュメンタリストが集まっている今だからこそ全員で抗議の声を上げるべきだ、とのフレーズもあった。提案者は映画祭に参加している日本の映画監督たち。何人かは知っている名前があった。そのチラシを手に、僕はホテルへと戻る道を歩いていた。顔を上げれば是枝裕和がこちらに歩いてくる。手にはやはりチラシ。立ち止まった僕に是枝は真剣な表情で、「どうしようか」と言った。
「是枝さんはどうする?」
「悩んでいる」
「僕も悩んでいる」
路上で2人はしばらく沈黙した。見送ろうと先に言ったのはどちらだったか覚えていない。とにかく僕と是枝は、結果としてこのチラシを黙殺した。その後に抗議声明は公開された。多くのフィルムメーカーたちの名前が賛同者として記載されていたけれど、僕と是枝の名前はそこにはなかった。
アメリカ同時多発テロの実行犯であるアルカイダに対しての反撃ならばともかく、アフガニスタンへの武力侵攻は明らかに意味が違う。この機に乗じて、目障りなタリバン政権を壊滅させようとの本音は明らかだ。つまりテロ対策を大義に掲げた新たな戦争。絶対に容認などできない。その思いは僕も持っているし、是枝も同じはずだ。でも直接的なアピールの声を上げることに、直感的なためらいがどうしてもあった。
僕たちは映画という間接話法で世界への思いを表現する。平和は尊い。それは前提であると同時にスローガンでもある。映画はスローガンではない。平和が尊いことを映像のモンタージュでどのように表現するか。どんなストーリーを紡ぐのか。つまりメタファー(隠喩)だ。自分はそのジャンルの端くれにいる。だからこそ直接的なアピールに対しては逡巡する。違和感をどうしても拭えない。
ネット上での賛否両論
10月3日、映画監督と脚本家の肩書を持つ井上淳一から、政権による「日本学術会議への人事介入に対する抗議声明」への賛同を打診するメールが届いた。添付されていた声明文を読んでから、僕はしばらく考え込んだ。
「この問題は、学問の自由への侵害のみに止まりません。これは、表現の自由への侵害であり、言論の自由への明確な挑戦です。(中略)今回の任命除外を放置するならば、政権による表現や言論への介入はさらに露骨になることは明らかです。もちろん映画も例外ではない」と宣言した後に声明は「私たちはこの問題を深く憂慮し、怒り、また自分たちの問題と捉え、ここに抗議の声を上げます」とある。
アメリカのアフガン侵攻から20年近くが過ぎるが、この間に僕のスタンスは微妙に変化した。それを強引に言葉にすればアンガージュマン(政治や社会に対する積極的な関与)。特に第2次安倍政権が始まって以降、安全保障関連法や共謀罪、特定秘密保護法などが国会で(数の力で)強行採決されるたびに、国の形がどんどん変わってゆくことを実感して、座して沈黙するだけでよいのかと自問自答していたことは確かだ。
とにかく数分は考えた。でも答えは決まっている。特に映画に仕事として関わる人ならば、「自分たちの問題と捉え」ることには理由がある。僕は井上に了解と返信し、是枝に賛同人依頼のメールを送った。すぐに「もちろん賛同します」と返信が来た。
声明公開後、ネット上では多くの賛同と、それを上回る批判の声があふれた。批判の多くは、「左派学者を応援する左派映画関係者」とか「反自民の左巻き監督たち」とか「中国共産党の手先である学者と映画関係者」などと揶揄する書き込みばかりだ。
だから改めて思う。ここは絶対に引けない。「よほど暇なんだな」「映画だけ作っていればいいじゃないか」などの書き込みも多い。もちろん本業は映画制作だ。映画だけを作っていたい。でも(もう1回書くが)「自分たちの問題と捉え」ることには理由がある。政治権力の暴走や社会のセキュリティー意識の高揚の前では、自分たちがいかに無力であるか、その歴史を僕たちは知っている。
赤狩りを喜んだ米国民
第2次大戦終結後、資本主義・自由主義陣営の西側諸国と共産主義・社会主義陣営の東側諸国との対立が激化して、冷戦の時代が始まった。特にハリー・トルーマン米大統領が共産主義封じ込め政策(トルーマン・ドクトリン)を議会で宣言した1947年以降、米国内における共産党員やそのシンパに対するレッドパージ(赤狩り)は激化した。多くの文化人や作家、芸術家などが、「自分は共産党員でもシンパでもない」と議会で証言することを迫られた。
もちろん、共産党員であったとしても違法ではない。何よりも、アメリカの憲法修正第1条は思想や信条の自由を保障している。しかし旧ソ連と共産主義者に対する不安と恐怖を燃料にした赤狩りはその後もエスカレートを続け、下院非米活動委員会から特に標的とされたのは、社会に対する影響が最も大きいと見なされたハリウッド映画だった。
共産党や左翼思想と何らかの関わりがあるとの疑いを持たれた映画監督や脚本家、俳優やプロデューサーたちは議会に召喚され、踏み絵のように共産主義と関わりがないことを証言するよう要請された。
しかし、召喚や証言を拒否した監督や脚本家たちがいた。議会侮辱罪で有罪判決を受けてハリウッドを追放された彼ら10人は、ハリウッド・テンと呼ばれている。その1人で共産党員であることを隠さなかったダルトン・トランボは1年近くの刑期を終えた後、『黒い牡牛』や『ローマの休日』などの脚本を別名で書き、さらにハリウッド復帰後は、自らが書いた小説を『ジョニーは戦場へ行った』のタイトルで監督した。まさに不屈の男。でも(エリア・カザンなど)圧力に屈した映画人たちも多かった。赤狩りが多くの標的をいけにえにするたびに、多くのアメリカ国民は歓喜の声を上げた。
もしもSNSがあったなら、「パヨクの映画監督ざまあみろ」「国益を害する反日分子を一掃しろ」的なツイートがあふれていただろう。
6人の学者たちの任命を拒否した理由は何か。その説明はいまだ首相の口からなされていない。今はまだメディアでもニュースになっているが、あと数日もすれば多くの人は関心を失うはずだ。ならば政権にとっての実績だけが残る。言論や表現の場はさらに萎縮する。もちろん70 年前とは状況は違う。でも本質は変わっていない。今回の声明に賛同した映画人たちは、その思いを共通して抱いている。
<2020年10月20日号掲載>