(社説余滴)すがすがしくおめでたい 高橋純子

(社説余滴)すがすがしくおめでたい 高橋純

2020/9/13 朝日新聞

 

 主張にせよ議論にせよ説得にせよ、政治という営みは言葉を手段として行われる。どのような場面で、どのような言葉を、どのように用いているか。そこにはおのずと、政治家のひととなりがあらわれる。


 たとえば安倍晋三首相。自身を批判する人々を指して放った「こんな人たちに負けるわけにはいかない」は、敵と味方を分ける政治姿勢とともに、微量かつ特有の被害者意識もにじむ。

 新首相就任が確実視される菅義偉氏はどうだろう。

 「地位に恋々としがみついていた」

 3年前の記者会見、加計学園問題をめぐる「総理のご意向」文書の存在を認めた前川喜平・元文部科学事務次官について、氏が次官を引責辞任した経緯を持ち出し批判した。「恋々と」で十分伝わるのに「しがみついていた」とまで言う。たたくだけでは済まさない。たたき潰す。とことんやるタイプなのだろう。

 なにより官房長官が一方的な人格攻撃を行うのは異様だ。沖縄への「粛々」たる冷遇や東京新聞記者への嘲笑含みの対応なども考えあわせれば、政治技術として「いじめ」を使うことをいとわない政治家の姿が見えたり隠れたり。苦労人? パンケーキ好き? だからなんだというのだろう。

 精神科医中井久夫氏は、いじめを「孤立化」「無力化」「透明化」の3段階に分け、これは奴隷化の過程だとしている(「いじめの政治学」)。孤立無援であることを被害者に実感させる「孤立化」。反撃は一切無効と観念させる「無力化」。そして、いじめが風景の一部としか見えなくなる「透明化」。被害者は自ら誇りを掘り崩し、加害者に隷属してゆく――。

 次期首相にふさわしい人を聞く各社世論調査で、菅氏の数字が跳ね上がった。勝ち馬に乗る、寄らば大樹の陰、合理的な説明は幾通りも可能だが、私は、日本社会がこの8年弱の間に「無力化」に傾いたからではないかという直感をひとまず手放さずにおく。

 いずれにしろコロナ禍という暗闇で、政治リーダーの言葉は人々を照らす一筋の光となることを知ってなお、またも言葉を光らせられぬ首相を選ぶ。ピンチの温床まるごと継承。すがすがしいほどおめでたい。

 (たかはしじゅんこ 政治担当編集委員兼務)