声をあげられない人たちの声

声をあげられない人たちの声

 

 青木 美希
2020/3/13 FBから

 


異動についてお問い合わせを多くいただいております。あたたかいお言葉、大変有り難く思っております。ご心配おかけしております。
 突然、4月から記事審査室だと言われました。広報部門となり、朝日新聞記事は書けません。記者の腕を請われてきたはずなのに、と戸惑っています。
 ずっと現場で取材させてほしいと言い続けてきました。震災10年目に入り、住宅提供打ち切りが進み、復興関連予算が大幅に減る時期に紙面に書けなくなる。私の記事を期待してくださっている方々に申し訳ない思いでいっぱいで、胸が痛いです。残された時間はわずかですができる限りのことをやりたいと思っております。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
 「不都合な事実を『なかったこと』として揉み消そうとしている国家権力の思惑通りになってしまった。これを許したのは、新聞やテレビ、各報道機関の敗北でもあると言われても仕方がない。我が身を含めて、あまりにも無力だったと猛省する」
 拙著「地図から消される街」の冒頭で書きました。政府は避難者が住宅提供継続を望んでいるのに住宅提供を打ち切り、自殺者を出していながら国内外に「政府はできる限り支援しようとしている」と主張し、政府が発表する避難者の数は数万人少ないという指摘があっても直しません。震災関連自殺者数も数えられていないものがあります。原発事故の責任を取らないまま、被害をなかったことにしようとしています。
 私はなかったことにしようとする国家権力に抗い、事実を伝えようと努めてきました。声を上げられない人たちの声を伝えるのが仕事だと自分に命じてきました。自分自身がそうだったからです。
 私は教職の父のもと、札幌で6人きょうだいの4番目に産まれ、親が大工さんと手作りした家で育ちました。家の中に雪がはいりこんで部屋の中に雪が降るような家でした。傾いたり、雨が降ったり。小学校時代から週末は家の修理か家の畑を手伝っていました。小学校では給食費の滞納で先生に早く持って来るように言われ続けました。高校を出たら妹の学費を稼ぐために自衛隊に入るように親に言われましたが、何とか説得して大学に行けました。東京の有名大学も合格圏内でしたが、親に「受験の費用が出せない」と受けることすらできず、唯一受けることができたのは地元の国立大学のみ。地元の新聞社北海タイムスに就職し、家族の介護をしながら家にお金を入れ続けました。北海タイムスの基本給は12万8千円。食費を200円で過ごしました。しかしタイムスは1年半で自己破産を申請し倒産しました。
 北海道新聞に入り、北海道警裏金問題で新聞協会賞を取材班で受賞し、朝日新聞に来ました。
 この国は生まれながらにして経済的に恵まれていない人たちには選択肢がない。どんな環境で育っても未来を選べる社会にしたいと思って、記事を書き続けてきました。
 ホームレス問題に取り組み(路上生活の方には北海道出身の人も多かった)、311が起きてからは原発事故問題を書き続けました。家を、仕事を、コミュニティを1度に失う。どんなに辛いか。勤めていた会社を失い、帰るところがなくなったときのことを思い起こしながら、一番辛いときは惨めで声をあげたくても声もあげられないほどだったことを思い出しながら取材しました。「プロメテウスの罠」「手抜き除染」は新聞協会賞をそれぞれ取材班で受賞しました。
 住宅提供が打ち切られ、家族がばらばらになったために中学3年生が自ら命を絶ちました。お父さんは「息子に死なれた俺が生きていても」と何度も後追い自殺をしようして保護されています。「もう死のうと思って。その前に青木さんに電話したんだ」とお父さんから電話がかかってきます。
皆様、どうか、声をあげられない人たちの声に耳を傾けていただけたらと思います。今後も皆様方のご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。