國分功一郎さんインタビュー『原子力時代における哲学』に書かれた本質的な危機

 國分功一郎さんインタビュー『原子力時代における哲学』に書かれた本質的な危機 

2019/11/26

book.asahi.com

 

――ハイデッガー哲学書存在と時間』は多くの人に評価されています。一方、ハイデッガーにはナチズムを擁護(ようご)した哲学者、危険思想の持ち主という負のイメージもありました。
 なぜハイデッガーが強固な異論を述べたのか、正確なところはわかりません。強烈な個性の持ち主だったからこそ、周囲に流されず、確信を持って「異」を唱えることができたのかもしれません。人は意見を持っていなければ、どんどん周囲に流されていくだけです。1950年代、「平和利用」という言葉を聞かされると、知識人たちまでもがみんな、原子力について思考停止に陥ったことは、いまも考えるべきテーゼだろうと思います。そして、そんなさなか、「我々は、この考えることができないほど大きな原子力を、いったいいかなる仕方で制御し、操縦できるのか」と問題提起したハイデッガーという人物の異常なまでの先見性も注目すべきです。


ジュンク堂書店 池袋本店にて

――話を本に戻します。この本を読んで、あらためて思ったのは「時間がたつと見えてくることがある」ということです。福島の原発事故で日本という国の底が抜けていたことが明らかになりました。その後もいろいろな分野で、この国の底が抜けている現実を見せられ続けています。大学受験の英語の民間試験導入をめぐる混乱ぶりもひどいものでした。
 例えば、森友学園問題は大変な問題でした。権力者の知人が国有地を有利な条件で購入し、官僚が公的文書を改ざんしていることも明らかになりました。かなり深刻な事態です。でも、みんな、怒りませんでした。なぜでしょう?それは、やっぱり、みんなの中に確信がないから、これだけは譲れないというものをもっていないからです。ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』の中で、全体主義を用意した大衆社会における大衆は、「何も信じていないから何でも信じる」と言っています。これはワイマール期のドイツを分析した言葉ですが、しかし、驚くほど現代の日本に当てはまるのではないでしょうか。では、どうすれば我々は何かを信じることができるようになるのか。いま、すごくそのことを考えています。
 原発事故は私たちが何かを信じるものを獲得することの必要をも教えていたように思います。しかし最近ではあまり話題にならなくなってしまいました。これだけの時間がたってからこの本を出したことに積極的な理由があるとすれば、それは、もう一度改めて原発について問題提起したかったということです。哲学者のニーチェに『反時代的考察』というタイトルの、同時代のドイツ文化を批判した本があります。「反時代的」というと反抗的で聞こえがいいわけですが、もともとのドイツ語のUnzeitgemäßeという言葉は、「時流に乗れていない」とか「時機を逸した」という意味なんですね。タイミングを逃すということも実は考える上では大切なのだと思います。