(天声人語)ぼくの好きな先生

天声人語)ぼくの好きな先生

2019/5/2 朝日新聞

 

 「十八になる私の子供は内向的でハキハキしません。ギターのプロになるのだと申します。どうしたらよいでしょう」。50年前、本紙の人生相談の欄に投稿が載った。相談者はのちにロックシンガーとなる高校生、忌野(いまわの)清志郎さんの母である▼当時、東京都立日野高校清志郎さんの担任だったのは、美術教師の小林晴雄さん。「何年か好きなことをやらせてみましょう」。息子の将来を案じる母をそう説得した。清志郎さんの代表曲の一つ「ぼくの好きな先生」のモデルになった人だ▼「清志郎さんは心底、小林先生を慕っていました。偉ぶらず、叱らず、説教もせず、まれにぼそっと生徒をほめる。先生らしくない先生でした」。そう話すのは日野高の2年後輩にあたる芝田勝美さん(65)。卒業後も、小林先生、清志郎さんの双方と交流を続けた▼小林先生は日ごろ、職員室を敬遠し、美術準備室で絵筆を動かすのを好んだ。定年退職後は公民館などで絵を教えた。「本来は画家になりたかった人。淡い色調の風景画が味わい深かった」▼芝田さんが世話役を務める年1度の同高OB作品展には、小林先生も清志郎さんもたびたび絵を出品した。会場に現れた清志郎さんを小林先生は特別扱いせず、あくまで教え子の一人として接したという▼清志郎さんは58歳で迎えた春の連休の5月2日に亡くなった。きょうで没後10年となる。その才能を信じて見守った小林先生も昨春、86歳で世を去った。教師と生徒を結んだ終生の縁を思う。