東電刑事裁判 2017/6/30
https://www3.nhk.or.jp/news/special/toudensaiban/
指定弁護士 冒頭陳述
▼福島第一原子力発電所における事故の経過
・3月14日11時01分、3号機原子炉建屋で水素ガス爆発が起き、これにより、同原子炉建屋の外部壁等が破壊し、起訴状被害者目録2記載の10名が、飛び散ったがれきに接触するなどして、同目録「傷害の内容」欄記載の各傷害を負いました。
この3号機水索ガス爆発と3月15日6時12分に発生した4号機水素ガス爆発等を受け、政府は同日11時、本件原子力発電所から半径20キロメートル圏内の居住者等の避難指示に加えて、半径20キロメートル以上30キロメートル国内の居住者等は、屋内への退避を行うことの指示を行いました。
・こうした中3月11日から14日までの間、双葉病院とドーヴィル双業に残された患者や入所者については、病院に残った病院長、医師、職員、駆けつけた医師らにより、点滴の変換や調節、注射器を使った痰の吸引、おむつ替え、食事や水分補給等のケアが不眠不休でなされていました。
・3月14日、4時頃、陸上自衛隊第12旅団輸送支援隊ドーヴィル双葉と双葉病院に到着し、残された患者や入所者を避難先へ搬送する作業が開始されました。双葉病院においては、当初、患者全員にタイベックススーツを着せるようにとの指示が警察官からなされましたが、寝たきりの患者にそのようなことはできないとの判断により、医師が点滴を外して、警察官がストレッチャーで患者を外に運自衛官が患者をバスに乗せるということが繰り返され、患者を乗せた車両が、順次、出発していきました。
ドーヴィル双葉の入所者98名全員と双葉病院の患者30数名はバスに乗せられ避難先へ出発しましたが、双葉病院の患者についてはバスに全員乗せることができず、約90名ほどの患者がまだ双葉病院に取り残されていました。
患者らを乗せたバスは、スクリーニング場所である相双保健所(福島県南相馬市原町区錦町1丁目30番地所在)に向かい、患者らはバスの中でスクリーニングを受けた後、相双保健所を出発し、いったん福島市に出て、高速道路を走り、いわきに向かうという経路で、同日20時頃、避難先であるいわき光洋高等学校(福島県いわき市中央台高久4丁目1番地所在)に到着し、医療法人博文会いわき開成病院(福島県いわき市鹿島町飯田字人合5番地所在)に向かったものの、同病院は既に避難してきた患者でいっぱいで収容の限界を超えていたことから、再びいわき光洋高等学校に向かい、同高等学校に到着したのは、同日21時を過ぎていました。このときすでに、起訴状被害者目録3の番号1、2、13の3名が、バスの中で死亡していることを、駆けつけた医師と看護師らが確認しました。医師と看護師らがバスに乗り込んで患者らの状態を確認し、患者らを同高等学校体育館に運び入れる搬送作業が開始されましたが、バスから体育館への搬送過程で、さらに同被害者目録3の番号14、15、16の3名の死亡が確認されました。
・この間、前記の2度にわたる水索ガス爆発により、双葉病院とドーヴィル双葉に残って患者や入所者のケアをしていた医師と職員らは、3月14日夜、警察車両に乗せられ、緊急避難を余儀なくさせられました。
・3月15日9時頃、自衛隊統合任務部隊搬送部隊が双葉病院に到着し、残されていた患者のうち47名を車両に乗せて出発しました。同日11時30分頃、陸上自衛隊第12旅団衛生隊が双葉病院に到着し、残されていた患者のうち7名を車両に乗せて出発しました。双方の車両は、スクリーニング場所である田村市総合体育館(福島県田村市船引町船引字遠表400番地所在)で合流した後、同所ではスクリーニングを受けられなかったことから、福島県男女共生センター(福島県二本松市郭内1丁目196番地の1所在)に向かい、同日15時30分頃同所に到着し、患者はバスの中でスクリーニングを受けた後、自衛隊車両から県が用意したバスに移し替えられて、最終的3月16日1時頃、避難先である伊達ふれあいセンター(福島県伊達市箱崎字川端7番地所在)に到着し、同所に運び入れられました。
・双葉病院の別棟(療養棟)に残されていた患者35名は、3月16日未明、陸上自衛隊第12旅団混成部隊(輸送支援隊・衛生隊)が双葉病院に到着し、避難先への搬送作業が開始され、同日6時頃スクリーニング場所である福島県男女共生センターに到着し、患者はバスの中でスクリーニングを受け、同日12時頃、県立霞ヶ城公園(福島県二本松市郭内3丁目232番地所在)駐車場にて、自衛隊車両から県が用意したバスに移し替えられました。同日14時30分頃、同駐車場にて、駆けつけた医師と看護師らがバスに乗車している患者を診祭しましたが、バスの中で、起訴状被害者目録3の番号23、24の2名が死亡していることが確認されました。この5名の患者は医師の指示により病院に緊急搬送されました。その余の患者28名は、同日、避難先であるあづま総合運動公園(福島市佐原字神事場1番地所在)の施設内に、運び入れられました。
・このように、本件事故により半径10キロメートル国内の居住者等の避難指示が出されたこと2度にわたる水素ガス爆発等により、被害者らは、長時間にわたる搬送・待機等を伴う避難を余儀なくされた結果、身体に過度の負担がかかり、低体温、脱水症等の衰弱状態等に陥り、被害者のうち8名は移動中のバスの中で次々と死亡し、また、避難先や病院に搬送された患者らも、全身衰弱状態が著しく、搬送先で、次々と死亡するに至ったのです。バスの中の状況は悲惨で、椅子に座ったままの状態で死亡している者や、補助席に頭を乗せて死亡している者もいました。
各被害者の死亡日時、死亡場所、死因等は、起訴状被害者目録3に各記載のとおりですが、避難を余儀なくされた3月14日から16日にかけて、その避難の過程ないし搬送先で、実に28名もの被害者が死亡し、その後も各被害者が、搬送先で、次々と死亡するに至っているのです。
また、起訴状被害者目録4に記載の被害者は、本件事故により医師らが双葉病院から、緊急避難を余儀なくさせられた結果、治療・看護を受けることができず、同記載の日時、場所で、死亡するに至りました。
本件事故がなければ、44名もの尊い命が奪われることはなかったのです。