誓い〜私達のおばあに寄せて

誓い〜私達のおばあに寄せて


沖縄県宮古高校3年 上原 愛音(ねね)



今日も朝が来た。

母の呼び声と、目玉焼きのいい香り。

いつも通りの

平和な朝が来た。

七十二年前

恐ろしいあの影が忍びよるその瞬間まで

おばあもこうして

朝を迎えたのだろうか。

おじいもこうして

食卓についたのだろうか。

爆音とともに

この大空が淀(よど)んだあの日。

おばあは

昨日まで隠れんぼをしていたウージの中を

友と歩いた砂利道を

裸足(はだし)のまま走った。

三線の音色を乗せていた島風

鉄の臭いが混じったあの日。

おじいはその風に

仲間の叫びを聞いた。

昨日まで温かかったはずの冷たい手を握り

生きたいと泣く

赤子の声を抑えつけたあの日。

そんなあの日の記憶が

熱い血潮の中に今も確かにある。

決して薄れさせてはいけない記憶が

私の中に

私達(たち)の中に

確かに刻まれている。

少女だったおばあの

瞳いっぱいにたまった涙を

まだ幼かったおじいの

両手いっぱいに握りしめたあの悔しさを

私達は確かに知っている。

広がりゆく豊穣(ほうじょう)の土に芽吹きが戻り

母なる海がまた

エメラルドグリーンに輝いて

古くから愛された

唄や踊りが息を吹き返した今日。

でも

勇ましいパーランクーと

心臓の拍動の中に

脈々と流れ続ける

確かな事実。

今日も一日が過ぎゆく。

あの日と同じ刻(とき)が過ぎゆく

フェンスを飛びこえて

締め殺されゆく大海を泳いで

癒えることのない

この島の痛み

忘れてはならない

民の祈り

今日響きわたる

神聖なサイレンの音に

「どうか穏やかな日々を」

先人達の願いが重なって聞こえる。

おばあ、大丈夫だよ。

今日、私達も祈っている。

尊い命のバトンを受けて

祈っている。

おじい、大丈夫だよ。

この島にはまた

笑顔が咲き誇っている。

私達は

貴方(あなた)達の想(おも)いを

指先にまで流れるあの日の記憶を

いつまでも

紡ぎ続けることができる。

誓おう。

私達はこの澄んだ空を

二度と黒く染めたりしない。

誓おう。

私達はこの美しい大地を

二度と切り裂きはしない。

ここに誓おう。

私は、私達は、

この国は

この世界は

きっと愛(いと)しい人を守り抜くことができる。

この地から私達は

平和の使者になることができる。

六月二十三日。

銀の甘●(かんしょ)が清らかに揺れる今日。

おばあ達が見守る空の下

私達は誓う。

私達は今日を生かされている。

(●は草冠に「庶」)


2017/6/23






上原さん、素晴らしい。全文をコピーさせていただきました。

泣けてきます。

沖縄県は二十三日、太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった二十四万人以上をしのぶ「慰霊の日」を迎えた。七十二年前のこの日、旧日本軍は沖縄戦の組織的戦闘を終えたとされる。最後の激戦地となった同県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で、安倍晋三首相や翁長雄志(おながたけし)知事が出席し、世界の恒久平和を願う「沖縄全戦没者追悼式」(県など主催)が営まれた。


 式典では正午、参列者が一分間黙とう。翁長氏は「平和宣言」をし、沖縄県宮古高校三年の上原愛音(ねね)さん(17)が「平和の詩(し)」を朗読した。首相もあいさつ。


 地上戦が繰り広げられた沖縄戦では多くの住民が巻き込まれた。今月十二日に九十二歳で死去した大田昌秀元知事が在任中に建立した同公園内の「平和の礎(いしじ)」は、敵味方の区別なく戦没者の氏名を刻んでいる。今年は新たに五十四人が加えられ、総数は二十四万一千四百六十八人となった。


 沖縄は、一九七二年に日本本土へ復帰するまで米国の施政権下に置かれ、米軍基地が次々と建設された。現在も在日米軍専用施設の約70%が集中している。


ごとう 真左美(後藤 まさみ)@gotou_masami


沖縄全戦没者追悼式。安倍総理大臣の来賓挨拶。平和や安全を並べるけど何も心に響かない空虚な言葉。目をつむりジッと聞く翁長県知事。会場からは度々の罵声。帰れっ!の声も。 pic.twitter.com/bHG8R9wm0I