縄文顔と弥生顔           (国立科学博物館ホームページより)

縄文顔と弥生顔           (国立科学博物館ホームページより)



 昨今、お互いの顔を評して縄文顔とか弥生顔とかいうことがある。それは、縄文人の顔と弥生人の顔が、いまでも私たち日本人の中に生き続けているということにほかならない。
 私たち日本人になじみのある細眉/一重瞼/薄唇の平坦な顔は、モンゴルの人々に典型的に見られ、北方アジア系の顔と呼ばれている。一方、エキゾチックな太眉/二重瞼/厚唇の立体的な顔はインドネシアやフィリピンの人々によく見られ、南方アジア系の顔といわれている。しかし、このいわゆる南方系の顔はアイヌの人々の顔とも似ており、必ずしも南方アジアという地域に限局するわけではない。むしろ、広義の東アジアというべきだろう。
 日本人の中で、この北方系といわゆる南方系の顔がいりまじっている原因は、縄文時代以来の日本人形成の過程に由来している。まず、更新世末期ないし縄文時代には、日本列島を含む東アジア一帯に、いわゆる南方系の立体的で太眉/二重瞼/厚唇の人々が住んでいた。
 一方、約3万年前にシベリアに住み着いた人々は、2万年ほど前の氷期に厳寒の気候(零下50度)に適応して、平坦で皮下脂肪が厚く一重瞼で唇が薄く毛の少ない特徴を身につけた(そのような個体が生き残った)。逆に、皮下脂肪が薄く目が大きくあちこちが出っぱっている顔は、寒さに弱く凍傷になりやすいからである。また、眉や髭が多いと息が氷柱になって困るし、唇は口腔粘膜の反転露出部分なので凍傷になりやすいからである。
 およそ5,000年前、シベリアの北方系の人々が東アジアに拡大をはじめた。やがて、彼らは、2,300年前には九州北部付近から日本列島に侵入してきて、弥生時代の幕を開けることになる。つまり、彼らが(渡来系)弥生人であり、彼らの弥生顔が北方系である所以がここにある。
 その時、日本列島にはいわゆる南方系の顔をした縄文人たちが住んでいたが、侵入してきた北方系の弥生人によって本土の大部分は占められ、わずかに北海道に残った縄文人アイヌの人々になるのである。周知のように、アイヌの人々の顔は立体的であるだけでなく太眉/二重瞼/厚唇でもある。だから、縄文人も同じような表面の造作をしていただろう。そこで、縄文顔は現代アジア人の基準でもいわゆる南方系だったといえる。
 最終的に、現代日本人は、平均として、およそ北方弥生系7〜8割、南方縄文系2〜3割の比率で混血しているというのが、最近の人類学の結論である。だから、日本人(和人)は北方系のイメージが強いのである。