東電 問われる管理能力 柏崎刈羽原発7号機 手抜き溶接

東電 問われる管理能力
柏崎刈羽原発7号機 手抜き溶接
2022/01/24 新潟日報


 東京電力柏崎刈羽原発7号機(新潟県)の消火配管で多数の手抜き溶接が見つかった問題で、東電は今月、1580カ所に上る工事のやり直しを始めた。溶接は原発を安全に稼働させる上で不可欠の技術でありながら、東電にノウハウがなく、下請け業者に依存してきた分野。東電は匿名の「告発」があるまで不正に気付くことができず、原発を隅々まで把握しきれていない実態がまたも露呈した。やり直し工事の適正な遂行とともに、東電の原発の管理能力があらためて問われている。

 「溶接は私どもがあまり親しんでいなかった分野だった」。昨年末、手抜き溶接を公表した記者会見で、同原発稲垣武之所長は東電の「弱点」を率直に認めた。

 手抜き溶接の発覚は、昨年3月にあった匿名の情報がきっかけ。調査の結果、6号機に続き、東電が再稼働を目指す7号機でも不正の事実が確認された。東電は9月に、他人のIDカードを使った中央制御室への不正入室問題などに関する再発防止策をまとめたばかり。東電が改革を誓った矢先に発覚した新たな不祥事だった。

 対策として、稲垣氏は、外注業務の知識や経験などを手の内にいれる「手の内化」という言葉を使いながら、作業を直営で試行するなどして管理体制の向上を急ぐとした。

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 原発は多くの複雑なシステムからなる巨大施設だ。点検や修繕工事などの業務が、何層にも重なった多くの下請け業者に支えられている。その末端で頻発する不正や失態は、これまでも東電の頭痛の種となってきた。

 東電も課題を自覚し、「安全最優先」の文化を定着させようと、社内の研修強化などに取り組んできている。再発防止策にも下請け業者を含めた意識改革を挙げるが、事態はなかなか改善しない。

 7号機では昨年、火災感知器が消防法の規則を満たさない場所に設置されていたことも発覚した。工事を担当した業者の確認不足が原因で、東電も立ち会い確認で誤りを正すことができなかった。

 県技術委員会委員で、品質管理などが専門の浅田義浩氏は「東電は品質管理が弱い」と印象を語る。

 「辺縁現象といって、問題は組織の端で起きることが多い。中枢が懸命に取り組んでも、その意識が薄い末端でエラーが起きる」と指摘。結局、安全の最終責任は発注者の東電にあり、末端を管理しきれない甘さが原発で相次ぐ問題の背景にあるとみる。

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 東電は1580カ所に上る溶接工事のやり直しに踏み切った。思い切った判断にも映るが、やり直しの対象は、不正が見つかった消火配管の溶接を受注した業者の担当部分などに限られる。大量の気体や水を扱う原発構内には、消火配管以外にもさまざまな配管が血管のように張り巡らされ、溶接箇所は無数にある。

 同じく県技術委委員の岩井孝氏=核燃料工学=は「他の配管溶接は適正に行われたのだろうかと私も思うし、一般の人も思うだろう」と懸念する。

 東電は、原子炉の運転に直接関わるような重要配管については「施工方法や性能検査のチェックが(不正のあった)消火配管より厳格だ」と強調。業者や原子炉メーカーに「適切に行われていると確認している」とする。

 自前の溶接技術の蓄積は一朝一夕にはいかない。東電が掲げる「手の内化」の実現と品質管理の向上が、相次ぐ失態で失った信頼の回復に向けた試金石になる。

 

福島第一原発 マイナス30度の液体約4トン漏えい パイプ損傷か

福島第一原発 マイナス30度の液体約4トン漏えい パイプ損傷か

2022/1/23 NHK

 

福島第一原子力発電所で、建屋の周りに“氷の壁”を作って地下水の流入を抑える「凍土壁」のうち地盤を凍らせるために地下に埋め込んだパイプに注入している液体がおよそ4トン漏れ出るトラブルがありました。東京電力は、パイプの一部が損傷した可能性があるとみて、場所の特定を急ぐとともに、補修することにしています。

東京電力によりますと、1月16日、福島第一原発で、建屋の周りの地盤を凍らせるために使うマイナス30度の液体を入れたタンクのうち4基中2基で水位が下がり、凍土壁の周辺を確認したところ、この液体がたまっている場所を発見したということです。

漏れ出た液体は地盤を凍らせるための「冷媒」の役割を果たす塩化カルシウム水溶液で、タンクの水位からおよそ4トンが漏れたと推定されるということです。

また、この液体は有害物質ではなく、環境への影響はないとしたうえで、「冷媒」が漏れても、「凍土壁」そのものが溶け始めるまでには数か月の余裕があり、地下水の流入を抑える機能は保たれているとしています。

東京電力は、パイプの一部が損傷した可能性があるとみて、場所の特定を急ぐとともに、補修することにしています。

「凍土壁」の運用は2016年に始まりましたが、去年は凍土壁の一部で地中の温度が0度を上回る状態が続くトラブルが発生していて、東京電力が原因究明と対策を進めています。

 

三原じゅん子の「八紘一宇」発言 その本義とは… 大原康男国学院大名誉教授

三原じゅん子の「八紘一宇」発言 その本義とは… 大原康男国学院大名誉教授

2015/4/3 産経新聞

 

 漢和辞典によれば、「八紘」は「天地の八方の隅」の意で、転じて「全世界」を意味し、「宇」は「軒」または「家」を指す語で、「八紘一宇」は「世界を一つの家にする」というのが原義である。

 

 三原議員はこれを「日本が建国以来、大切にしてきた価値観である」と述べ、この理念の下に「世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合えるような経済、税の仕組みを運用していくことを確認する政治的合意文書のようなものを、安倍晋三首相がイニシアチブを取り、世界中に提案していくべきだ」と主張した



敗戦の年の12月15日に連合国軍総司令部(GHQ)が日本政府に交付した「神道指令」(国家神道を廃止し、国公立学校における神道の教育・研究を禁止することを主たる目的とする)において、「八紘一宇」は「大東亜戦争」とともに「軍国主義、過激ナル国家主義ト切リ離シ得ザル」語として公文書で使用することが禁止された。この見解を今もそのまま諾(うべな)って「アジア侵略を正当化する理念だった」(「東京新聞」平成27年3月19日付)などと断定する手合いがあちこちに見られる。



 東京裁判で日本人弁護団の副団長を務めた清瀬一郎は、事実問題で立証に成功したのは「八紘一宇は侵略思想でないということ」のほかには一件あるだけだと回顧している。一方、裁判官においては日米交渉の出発点で提示された日米諒解案での「八紘一宇」の訳語である universal brotherhood が印象深かったかもしれない。

 

 こうした経緯を鑑(かんが)みれば、「八紘一宇」が国策に利用された過去があったにしろ、その本義を踏まえた上で今日的な文脈で捉え直した三原議員の発言を頭から否定するのは、言論の封殺に繋(つな)がると言わざるを得まい。

 

「沈黙を余儀なくされてきた」東電甲状腺がん訴訟で弁護団が会見 27日に提訴へ

「沈黙を余儀なくされてきた」東電甲状腺がん訴訟で弁護団が会見 27日に提訴へ

2022/1/21 東京新聞

 

 東京電力福島第一原発事故による放射線被ばくの影響で甲状腺がんになったとして、福島県内に住んでいた17~27歳の男女6人が東電に損害賠償を求めて提訴する方針について、弁護団が19日、東京都内で記者会見した。弁護団長の井戸謙一弁護士は「6人のように被ばくが原因とみられる甲状腺がんで苦しむ人たちの希望となる裁判にしたい」と述べた。
 小児甲状腺がんは通常、発症数は年間100万人に1~2人程度とされている。福島県の県民健康調査などでは、事故後から昨年までに約300人が甲状腺がん、またはその疑いと診断されたが、同県の専門家会議は被ばくとの因果関係について「現時点で認められない」としている。
 事故から10年を経て訴訟を起こす理由として副団長の河合弘之弁護士は「原発事故が原因で甲状腺がんになったと声をあげると社会からバッシングを受ける雰囲気があり、6人は沈黙を余儀なくされてきた」と説明。「福島県では通常より数十倍も多くの子が甲状腺がんになっている。因果関係がないというのなら、東電側はそれ以外の原因を立証しなくてはならない」と主張した。
 同じく副団長の海渡雄一弁護士は「結婚や就職など普通の人生の望みを奪われ、生涯苦しい治療を続けなくてはいけない人もいる」と述べ、「6人以外でも同様に苦しんでいる人は弁護団に相談してほしい」と呼び掛けた。
 弁護団によると、原発事故による甲状腺がんの責任を問う訴訟は初。27日に東京地裁に提訴する。会見を受け、東電は「訴状が送達された場合、誠実に対応する」とコメントした。(小沢慧一)

 

NHK放送総局長、字幕問題で陳謝「ジャーナリストの基本が本当におろそかに」

NHK放送総局長、字幕問題で陳謝「ジャーナリストの基本が本当におろそかに」

2022/1/19 読売新聞

 

 NHKが昨年末に放送したBS1スペシャル「河瀬直美が見つめた東京五輪」で確認が不十分な内容の字幕を表示した問題で、 正籬まさがき 聡・放送総局長は19日の定例記者会見で、「ジャーナリストの基本中の基本、事実を確認するというところが本当におろそかだった。こういう結果になり、本当に申し訳ない」と陳謝した。


 番組では、インタビューした男性について、「五輪反対デモに参加しているという男性」「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」との字幕をつけて放送した。担当者によると、字幕表示された五輪のデモ部分について、プロデューサーはディレクターに確認するよう要請していた。


 しかし、ディレクターは直接、男性には聞かず、実際に男性をインタビューした映画監督にそれらを問い合わせた。その際、監督からは、男性が「デモに行く予定がある」と発言していたことを改めて聞いたが、ディレクターはそれで「デモに行った」と解釈しても良いと判断。プロデューサーも了承してしまったという。

 再発防止策について正籬放送総局長は、ノンフィクション系の全ての番組で、匿名インタビューの必要性などを判断するチェックシートの活用を義務づけたことを明らかにした。また、放送倫理・番組向上機構BPO)の放送倫理検証委員会から書面での説明を求められていることに関しては、「 真摯しんし に対応して参りたい」と述べた。

 

長島愛生園 加賀田一さん 「未感染児童」T君

長島愛生園 加賀田一さん

「未感染児童」T君

「いつの日にか帰らん」P223~P229抜粋


 病気になった親が収容されるときにいっしょに連れてきた子供さんがいました。それぞれ故郷では養育のできない事情があったわけです。この子たちのことを「未感染児童」と言うのですが、これもすでに偏見の意味を含んだ言葉です。「未だ感染していない」けれどもいずれは感染、発症するというニュアンスを籠めた命名であり、使い方が間違っています。

 この子たちは病気ではないわけですから、非患者地域の「保育所」で集団生活を送ることになり親子別々の生活です。この保育所には通算すると百人以上いました。月に一度の開園記念日にお互いに遠くから眺める機会を与えられていました。

 病気の学童は園内に設けられた愛生学園に通い患者の教師が教えました。医師・職員住宅の児童は船に乗って対岸の村の学校に通っていました。この「未感染児童」の保育所の子供たちには島内に黎明学園という立派な名称の特別教室があてがわれて、教師と保育師が正式の教科書を使って寺子屋式で教えていました。親が病気だったために教育差別を受けていたわけです。新憲法施行の翌年、1948年(昭和23年)からは地元の裳掛小学校の分校扱いになったことは先述した通りです。

 戦後、保育所育ちの子供たちが社会に出る準備や社会訓練をする場として、大阪に白鳥寮という施設が設けられました。近所周辺には戦災孤児のための寮といっていたようです。今の新幹線の新大阪駅の近く、大阪水道局の貯水池があった近くです。長島育ちと明記されて親の病気がわかれば排除され就職できないということで、いったん住所も白鳥寮に移してここから就職したり社会に出たりしました。

 そういう施設としてはもう一つ島根県平田市(現・出雲市)の古平田寺がありました。そこに錦織という青年住職がおられて、自分のところで一時子供を引き取りました。「未感染児童」は一度、住所や本籍もそこに移して、それから出ていったわけです。

 この白鳥寮が、対象者がいなくなり閉鎖になったのが1965年(昭和40年)のことです。ちょうど私が自治会長をやっているときでした。そのときに白鳥寮を大阪府に1610万円だったと思いますが、売却しました。その代金を資金にして入所者の社会復帰と社会福祉のための設備を整えました。すでに活版印刷、ラジオの組立て、車の運転、簿記、タイプ、園芸、パーマ、洋裁、編物などはやっていましたが、岡山はイグサの産地でしたから、地場産業の畳工場を新たに造りました。この工場で毎日8時間働くことで社会復帰訓練をする福祉厚生施設でした。 

 あまり語られていないのがこの「未感染児童」のことです。病気でもないのに患者同様の偏見、差別、排除を受けて育ち、一生をそのために苦しんだ人が多くいます。

 親から相談されて、私なりに世話をした子供にT君がいます。T君は黎明学園を出てからも、その頃は保育所に4~50人ぐらいいましたから、保育所の食料自給のために島内で働いていました。仕事は百姓仕事と豚舎での豚飼育でした。保育所の補助要員ですから、本来なら職員、少なくともそれに準ずる待遇を与えるべきです。それが成人する20歳まで無報酬のまま働かされていました。愛生園のための奴隷労働でした。

 その頃、T君の親から相談されて、 待遇の酷さに私も驚きました。保育所は私たちの居住区とは「別世界」ですから、生活全般その他なにもわかりません。保育所の教師が寮長でもあり、保育児童全員の親代わりです。園の窓口を通してその教師に面会を求めました。そして「社会復帰をさせてやっていただきたい」と要請しました。しかし彼女は「引受人がないと出すことはできません」とそっけない返事を返すだけでした。
「今後もここで働かせるなら、きちんと雇員として採用し、独立の道を与えてやって下さい」と強く申し入れると、「引受人ができれば社会復帰させます。探してください」と言うばかりで、雇員とすることについては触れようとしません。病人でもないのに「社会復帰」もおかしなものですが、それだけここは世間から「隔絶」されていたわけで、だからこのような少年が存在し、このような事実があり得たわけです。

 面会にもよく来られて、病気についてもよく理解している方に、親が病者であるために就職に困っているという事情をよく話した上で、「社会復帰」について依頼したところ、2か月ほどたって、大工さんの仕事をもってきてくださいました。棟梁の家に住み込んで大工職人の修行をするという良い話でした。

 この話がまとまったことを保育所に伝えると、意外なことに喜ぶどころか不満そうでした。それは手当もなしに真面目によく働く人間を失うことが残念という態度でした。

 親も当人も、仲介した私も、喜んでT君を送り出しました。もともと世間ずれしていない真面目な性格ですから、一生懸命に働いていたようです。

 それから5年たって、また親御さんから相談を受けました。T君本人から「給料を一度もいただいたことがない」と言ってきたというのです。住込みの徒弟制度で、子守りから掃除、家事一切をやらされているので、T君が小遣い銭の話をしたら、親方の大工に「お前の親はらい病で、行くところがないお前を助けてやっているのだから、有難く思え」と言われたというのでした。

 人の弱みに付け込んで利用しようという、ひどい大工でした。こんなところにいたのでは将来もなにもないことは明らかですから、新たな仕事先を伝を頼って探しました。

 幸いなことに6か月の見習い教習に合格すれば本格採用になるという好条件のベアリング会社が見つかりました。無事に見習い期間を通って本採用が決まりました。そこで戸籍抄本が求められ、提出しました。そこにはT君の父親について「光田健輔届出により死亡届出受付」と記されていました。当時、愛生園での死亡者はみな、そのように記録されました。

 会社の担当者から「あなたはどうして光田健輔と関わりがあるのか」と尋ねられて、T君は頭の中が真っ白になり、何も答えることができないでそのまま退室したそうです。人事係もよく光田健輔の名前を知っていたものです。 

 T君の消息がそれ以来わからなくなりました。親御さんは気が狂ったように、同じ保育所を出て外で生活している方を中心に手配して探しました。唯一の手がかりは京都でばったり出会ったという友人の話です。喫茶店に入ってコーヒーを飲んで別れたが、事情も知らないので詳しく聞くこともなかったから、どこで何をしているかわからないとのことでした。

 親御さんは生きるだけは生きていてほしいと言って、ただ生きていることを祈っておられました。病気になった人も気の毒ですが、保育所にいた百何人の子供さんが元患者と同じ思いを味わい、未だに隠れています。その人たちは今は家族もいて、穏やかに暮らしていることでしょう。

 今さらハンセン病のことをしゃべって、寝た子を起こすようなことはしてくれるなと、私も言われます。それは昔の影に脅えているのだと感じますけれでも、その人たちの気持ちを無視するわけにはいきません。女性の場合は保育所育ちを隠して結婚して、その後子供に恵まれ、孫もできて、比較的平和に過ごしておられる方もいると聞きますが、心のなかでは苦しい時期があったに違いありません。

 脅えなければならない影が社会に残っている限り、ハンセン病問題は解決したとは言えません。

 

赤木さん『財務省が検察へ提出した文書』の開示求めた裁判始まる 国は請求棄却求める

赤木さん『財務省が検察へ提出した文書』の開示求めた裁判始まる 国は請求棄却求める

2022/1/18 MBSNEWS

 

 森友学園の国有地売却を巡る公文書の改ざんを命じられて自殺した財務省近畿財務局の元職員・赤木俊夫さん(当時54)の妻・雅子さんが、財務省が検察に提出した書類を開示するよう求めた裁判が、1月18日から大阪地裁で始まり、国側は訴えを退けるよう求めました。

 財務省近畿財務局の元職員・赤木俊夫さんは4年前の2018年に、森友学園をめぐる公文書の改ざんを命じられたことを苦に自殺しました。

 妻の雅子さんは去年8月に改ざんの指示系統を知るため、財務省や近畿財務局が検察に提出した文書などを開示するよう求めましたが、財務省は「犯罪の予防や秩序の維持に支障を及ぼす」などとして『全部不開示』としたため、雅子さん側は国に対し不開示とした決定を取り消すよう求めて提訴しました。

 1月18日から始まった裁判で、雅子さん側は「財務省は捜査をする側ではないし、検察の捜査はすでに終了して、証拠を保全する必要性はない」と主張しました。

 一方、国側は訴えを退けるよう求めたものの、詳細な主張は次回の期日までに明らかにするとしました。

 (赤木雅子さんの代理人 生越照幸弁護士)
 「国に対する損害賠償請求は認諾されてしまったので、そこは無くなってしまったんですが、俊夫さんがなぜ亡くならなければならなかったのか、原因と経緯を明らかにする」